カルチャー加藤くんの文化活動

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「〇〇だよね、知らんけど。」っていう表現が大嫌い

最近SNSで「〇〇だよね、知らんけど。」という表現をよく見かけます。ぼくはこの表現が大っ嫌いです。さんざ語っておいて、知らんけど。じゃねえよと思います。具体的な話をするとぼくのSNS上にその手のコメントが付いた時、イラッとしたことがありました。その方は、ぼくのあげた1人芝居のような動画に対して想像を膨らませて考察してくれて「この男はこう思っている〇〇〇〇(割と長文)なのだと。知らんけど。」みたいなコメントを残してくれたのですが、それを読んだぼくは、「知らねえなら言うんじゃねえよ。と思いました。その方に悪意がないのはわかるし、動画の設定を受け入れてくれて、その上自分なりの想像を膨らませてくれているのだからむしろ友好的だと思います。すごく有難いし、普通に考えて嬉しいことですよね。でもぼくの最初の感想としては「知らねえなら言うんじゃねえよ。卑怯者が、帰れ!」でした。と言うことで今回はなぜこの表現がムカつくのか思い当たる理由を書いていこうと思います。

①責任逃れしている。

②責任逃れしているくせに、偉そう。

③責任逃れしているくせに、シニカルな態度。

④他人なのにタメ口(これは今回の場合ですが)

僕がムカつくポイントは大体この4点ですね。ひとつひとつ詳しく話していこうと思います。

①責任逃れしている。

そのまんまですね。自分の意見にたいして責任を持たないで、予防線を張って逃げています。あなたが知らなかったらいよいよ誰も知らないよと思います。あなたの意見なんだからあなたは知っといてくれないと。と、書いていて思い出したのですが、最初SNSについた先ほどのコメントを読んだ時、「知らんけど。」の意味が一瞬わかりませんでした。ほんとにです。でもしょうがないですよね。だって勝手に意見を言い出して、勝手にその意見を知らないと言い出すという未だかつてないスタイルなのだから。しゃべりの方法としてだいぶ最新な感じがします。ついていけないです。とりあえず今すぐ言い切ってください。

②責任逃れしているくせに、偉そう。③責任逃れしているくせに、シニカルな態度。

「知らんけど。」って言い方、責任逃れしてるくせに、偉そうじゃないですか?自分の意見に自信がなくて逃げ回ってるくせに、よくこんなふんぞりかえれるなと思います。「ごめごめ、知らないっす‼︎」とか「知らないんですがぁね〜‼︎」みたいな隙のある言い方なら人のあったかさがあるじゃないですか?チャーミングというか。「知らんけど。」って言い方最高にムカつきますよね。とんでもないシニカル気取りというか。いかにも頭がキレる男です、みたいな。常に俯瞰で全体見れてます、みたいな。シャープな流し目でポーズを決めてネオンをバックにパーラメント吸ってます、みたいな。そういったナルシズム全開のカッコつけ方をしてますよね。逃げ回ってるくせに。

④他人なのにタメ口(これは今回の場合ですが)

そもそも知らない人に「知らんけど。」ってタメ口もムカつきますね。ただ、コメ欄のタメ口ぐらい僕は普段何も思わないので、いままでの積み重ねがタメ口までもムカつきポイントに昇格させたと考えてもらっていいと思いますね。だからこれは一番最後に来た残り火みたいな怒りです。

おわり

おそらく「知らんけど。」と責任を回避する根底には自信のなさがあって、正面から否定されるのが怖いとか。「知らんけど。」と偉そうでシニカルな言い方になってしまうのも本気じゃないよとか余裕だよとかのアピールで、それもまた自信のなさが根底にあると思うんですが、その弱さは共感できるし、言ってしまう気持ちもわかるけども、やっぱりぼくは大っ嫌いですね。言い切るなら言い切れよ。言い切れないならカッコつけてんじゃねえよ。と僕は思います。ただこんな文句を言ってたら怖くなってきました。僕もいずれ言い出すかもしれません。