カルチャー加藤くんの文化活動

映画、本、喫茶店、文具、音楽、ファッション、アート、お笑いとかのカルチャーのはなし

北野武監督「首」の最高だったところ1選(ネタバレ)

f:id:sasasava:20231125030034j:imageビートたけしさんが着ていたficceのセーターを着る加藤くん

北野武監督の最新作「首」見てきました。たけしさんが描くバイオレンスな時代劇。最高なポイントは沢山あったのですが、個人的にいいなと思ったところ一つに絞りました。

それは、秀吉の使いを演じる木村祐一さんと千利休に仕える男を演じる大竹まことさんが一対一で対峙し、刺し合うシーンです。

なんで最高なのというと、まず昔「ダウンタウン・セブン」という討論番組がありました。プレゼンターが持論を語り、パネラーがそれに反論、客票でどちらが正しいかジャッジを下すという番組だったのですが、そこにプレゼンターとして木村祐一さんが出演し、大竹まことさんとヒリヒリするような舌戦を交わしたことがありました。大竹さん「お前はそいつ以下じゃねえか!」「バーカ!」キム兄さん「(この人)シバきます。」もちろん2人とも冗談で斬り合っていたと思うのですが、毒舌を武器にする2人の姿が真に迫ったものがあり、大笑いしながらも怖ぇ〜と思いました。この場面は自分の中のお笑いクラシックでした。その2人が十数年の時を経て、いや数百年の時を戻し、また喧嘩してる、、、。普通に共演していいんだ、仲悪くないんだ、みたいな感動もあり(東と西であまり関わりがないように見えるのもあって)最高でした。またいつかこのふたりの喧嘩がみたいと思う、加藤くん。

 

 

 

半信半疑で買った服の方が好きになる

好きだけどあまりお金も使ってないし買い物といえばほぼメルカリの僕が服について語るのも憚られるんですが、今回は服の話をしようと思います。僕は「半信半疑で買った服の方が好きになる」という感覚があります。半信半疑で買った服というのは、「これかっこいいのかな?もしかしたらダサいかもな、、いや、、かっこいいよな?」みたいな服です。要するに自分の中で評価が確定していない服。これかっこいい!みたいに一目惚れ的に買ったり、ずっとこれ欲しかったんだよ!みたいな王道の愛ではなく、そんな好きでもないけどとりあえず付き合ってみたら、沼らされた。みたいな服です。

◼️オレンジ色のダッフルコート 

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今では冬になると必ず着る、僕の中の定番・冬の相方なのですが、購入した当時はこのコート対して懐疑心丸出しでした。なんか面白いから買っちゃおうみたいなノリで購入したんですが、いざこのコートを着て鏡の前に立つと「これ合ってんのかな?」みたいな気持ちになりました。こんなオレンジの服を着ている人を見たことがないし、そもそもオレンジのダッフルコートって物としてナシなんじゃ、、?そんな不安に、不安な顔になり「ダッフルコート  オレンジ 海外スナップ」「ダッフルコート  オレンジ コーデ 外国人」などのワードで検索をかけてかっこいい着こなしをしている外国人を1人でも見つけていち早く安心したいみたいな、ノイローゼ一歩手前みたいな精神状態になりました。そこからもう少し幅を広げて日本人も加えて調べた結果、当時の話ですが、ルー大柴さんが公式ブログでオレンジのダッフルコートを着ているオフショットの写真しか発見できず、それを見てノイローゼになりました。そんな話もあったんですが、まあ寒いからとりあえず着よういうことで着ていくうちに、いやこれなんかいい感じだなみたいになりました。理由は色々あると思うんですが、マイナスからスタートした分、加点方式で良いところを見つけることができた、と言うところでしょうか。

◼️キツネとイチゴ柄のアロハシャツ f:id:sasasava:20230623025234j:image

今、キツネとイチゴ柄のアロハシャツと書いていて、半信半疑にならざるを得ないだろと思いました。これも古着屋で新古品で2000円くらいで売っていて、なんか面白いなと思って買いました。どういう意図でキツネとイチゴを組み合わせたのかデザインした人にも分からないんじゃないかと言うくらい意味がわからないです。これは最初、軽いノリというか冗談みたいな気持ちで着ていました。「本気じゃないよ」というか、「ふざけて着てんだよ」みたいな誠意0な感じだったんですが、着ていくうちに普通にかっこいいじゃんってなっきていきました。いつのまにかお前のこと遊びじゃねえから、ってなりました。

◼️おわり

ということで半信半疑で買った服のはなしをしたんですが、なぜ半信半疑で買った服の方が好きになるのか芯の芯みたいなところは書いていてもわかりませんでした。わからない。と投げて終わってもキレが悪いので一応考えると、半信半疑ということはまだその服を半分疑ってる、でもどうせ買ったんだからと着る、着ているうちにその服への理解を深める、結果良いところを見つけて好きになる。みたいな感じでしょうか。でしょうか論法で結局キレが悪いですがおわりです。

 

 

「〇〇だよね、知らんけど。」っていう表現が大嫌い

最近SNSで「〇〇だよね、知らんけど。」という表現をよく見かけます。ぼくはこの表現が大っ嫌いです。さんざ語っておいて、知らんけど。じゃねえよと思います。具体的な話をするとぼくのSNS上にその手のコメントが付いた時、イラッとしたことがありました。その方は、ぼくのあげた1人芝居のような動画に対して想像を膨らませて考察してくれて「この男はこう思っている〇〇〇〇(割と長文)なのだと。知らんけど。」みたいなコメントを残してくれたのですが、それを読んだぼくは、「知らねえなら言うんじゃねえよ。と思いました。その方に悪意がないのはわかるし、動画の設定を受け入れてくれて、その上自分なりの想像を膨らませてくれているのだからむしろ友好的だと思います。すごく有難いし、普通に考えて嬉しいことですよね。でもぼくの最初の感想としては「知らねえなら言うんじゃねえよ。卑怯者が、帰れ!」でした。と言うことで今回はなぜこの表現がムカつくのか思い当たる理由を書いていこうと思います。

①責任逃れしている。

②責任逃れしているくせに、偉そう。

③責任逃れしているくせに、シニカルな態度。

④他人なのにタメ口(これは今回の場合ですが)

僕がムカつくポイントは大体この4点ですね。ひとつひとつ詳しく話していこうと思います。

①責任逃れしている。

そのまんまですね。自分の意見にたいして責任を持たないで、予防線を張って逃げています。あなたが知らなかったらいよいよ誰も知らないよと思います。あなたの意見なんだからあなたは知っといてくれないと。と、書いていて思い出したのですが、最初SNSについた先ほどのコメントを読んだ時、「知らんけど。」の意味が一瞬わかりませんでした。ほんとにです。でもしょうがないですよね。だって勝手に意見を言い出して、勝手にその意見を知らないと言い出すという未だかつてないスタイルなのだから。しゃべりの方法としてだいぶ最新な感じがします。ついていけないです。とりあえず今すぐ言い切ってください。

②責任逃れしているくせに、偉そう。③責任逃れしているくせに、シニカルな態度。

「知らんけど。」って言い方、責任逃れしてるくせに、偉そうじゃないですか?自分の意見に自信がなくて逃げ回ってるくせに、よくこんなふんぞりかえれるなと思います。「ごめごめ、知らないっす‼︎」とか「知らないんですがぁね〜‼︎」みたいな隙のある言い方なら人のあったかさがあるじゃないですか?チャーミングというか。「知らんけど。」って言い方最高にムカつきますよね。とんでもないシニカル気取りというか。いかにも頭がキレる男です、みたいな。常に俯瞰で全体見れてます、みたいな。シャープな流し目でポーズを決めてネオンをバックにパーラメント吸ってます、みたいな。そういったナルシズム全開のカッコつけ方をしてますよね。逃げ回ってるくせに。

④他人なのにタメ口(これは今回の場合ですが)

そもそも知らない人に「知らんけど。」ってタメ口もムカつきますね。ただ、コメ欄のタメ口ぐらい僕は普段何も思わないので、いままでの積み重ねがタメ口までもムカつきポイントに昇格させたと考えてもらっていいと思いますね。だからこれは一番最後に来た残り火みたいな怒りです。

おわり

おそらく「知らんけど。」と責任を回避する根底には自信のなさがあって、正面から否定されるのが怖いとか。「知らんけど。」と偉そうでシニカルな言い方になってしまうのも本気じゃないよとか余裕だよとかのアピールで、それもまた自信のなさが根底にあると思うんですが、その弱さは共感できるし、言ってしまう気持ちもわかるけども、やっぱりぼくは大っ嫌いですね。言い切るなら言い切れよ。言い切れないならカッコつけてんじゃねえよ。と僕は思います。ただこんな文句を言ってたら怖くなってきました。僕もいずれ言い出すかもしれません。

 

TikTokのアンチコメント1000本ノック

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僕は「昭和加藤」という擬似昭和映像のTikTokをやっています。そのTikTokにまたにアンチコメントというか失礼なコメント付くことがあります。不快なのですが、僕は基本的にコメント削除はしていません。なぜなら、アンチコメントに対して気の利いた返しやスマートな対応をすることで、そのコメント一連を読んだ方に好感度をアピールできると踏んでいるからです。(といって実践出来ているか?と胸ぐらを掴まれたら僕は俯いて泣きます。)ということで今回はTikTokに寄せられたアンチコメントと、それに僕がどう打ち返しているのかを紹介していきます。

まずこちらの動画から

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タメ口で、僕の演技にダメ出しをするアンチコメです。これには男心をチラ見せして共感を求める返しをしました。その結果しかめっ面を笑顔に変えることができました。とても平和な感じです。この返しは成功と言ってもいいかもしれません。

続いてはこちら

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タメ口で、僕の人格を罵るアンチコメントです。こちらには、半分受け入れて、半分反論するという返しをしました。具体的には「ナルシストという悪口」を受け入れて、残り半分の「人をバカにするという悪口」に反論するという返しです。これは自分的にも論理が通っていると思うし、ひろゆきばりに論破できて、はっきり言って気持ち良かったです。第三者のティモシー4世さんからも喝采を頂戴し、僕はこの夜ご満悦の表情で床に着きました。

続いてはこちら

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僕のマナーについてタメ口で指摘するというアンチコメントです。これには、「何故か甘える。」というボケで返しました。ただ、いわさきさんのコメントにはいいね2か付いているのに対し、僕のコメントはいいね0なのを見て頂けたら分かるように、普通にスベりました。つまり、食べ方が汚い奴が他人に甘えて無視されるという最悪なワンシーンを生んでしまいました。これは失敗と言わざるを得ないでしょう。

続いてはこちら、最後にします。

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これはアンチコメントというか政治的な話をしてくる系の、絡みたくない系のコメントですね。これには正直言うとあまりいい返しはできませんでした。俺の動画で変なこと語るな!と怒るなら怒る。寄り添って話を受けいれるなら受け入れる。どっち付かずでしたね。「不況」怒ってるのか、ツッコんでるのか、寄り添ってるのかよく分からないですもんね。今リベンジさせてください。

「政治の話すんな!」これですね。

こちらも同じ動画に付いたコメントです。

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これはシンプルに見た目ディスですね。これは最初ムカつきましたが、歯を食いしばって無理してツッコんでたら、向こうもボケて来てる面もうっすら出てきて漫才みたいになったみたいな感じです。読み返すとやっぱり少しムカつきますが、傷付きながらもツッコみを頑張った自分を褒めたいです。

あとおまけに、普通に怒っちゃったやつです。

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みんなアンチコメントやめて下さい。

 

 

2022年に買ったスーツ4着をレビューする

2022年にメルカリとヤフオクを駆使して購入したスーツ4着の感想を、時系列順に書いていきます。去年は大きく分けて2種類のスーツを探していました。舞台衣装として着る肩パッドが入っていて、襟が大きく、ズボンの裾が広がっている華やかな70年代型のスーツと、普段着として着る肩パッドがなく、カジュアルな形・素材のスーツ。それぞれ2種類ずつ登場します。

では、1着目。

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ブランド:Mr.Van 、購入元:メルカリ、着用目的:舞台衣装

まずはこちらのグレーのスリーピーススーツ(同じ生地のベスト付きのタイプ)です。これが今年買った4着の中で一番気に入っています。色も明るくて華やかだし、同色で柄の入ったボタンや太っとい裾やつるつるした生地など細部も気に入りました。なんと言ってもスリーピースなのがいいです。

調べてみると、どうやらこのMr.Vanというブランドは、Van jacketという60年代-70年代に日本で流行った国内ブランドの兄弟ブランドらしく、アメリカントラッド的な形のスーツを展開するVan jacketとは違い、ヨーロッパ・イギリス的な形のスーツを展開していたみたいです。あとで着用画像も載せますが、まさに70年代型という感じで、トミー・ナッター型というか、横山やすし型というか、岩井ジョニ男型というか強調された肩、襟、裾の形が素晴らしいです。

このスーツを着ると高度経済成長期のトヨタの社員になった気分になるので、必ず新橋の高架下のおでん屋で、ハイライトを根元まで吸いながら意識がなくなるまでホッピーを飲むのですが、その状態だと帰り道、ふらふらと道端に倒れてスーツを痛めかねないので、今年は、高度経済成長期のトヨタの社員になった気分が湧き上がってきた段階でその気分を完全に打ち消して、スーツを痛めないように気を引き締めようと思います。着画です。

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では、2着目。

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ブランド:オーダーメイド品、購入元:メルカリ、着用目的:舞台衣装

こちらを買ったのはハッキリ言って失敗でした。サイズが小さくて着れませんでした。着れないというか無理やり着たのですが、スラックスのウエストが小さすぎて、苦しいどころの騒ぎではありませんでした。おそらく僕の後ろ姿を目視で確認できるギリギリの距離からみてもお尻の割れ目がくっきりと縦に走っていることがわかるほどにストイックなシルエットだったと思います。ブルーグレーのような絶妙な色や、独特な織柄、70年代型でスリーピースなど、物としてはよかったので残念です。サイズも慎重に確認したつもりだったのですが、甘かったと言わざるを得ないですね。

 

では、3着目。

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ブランド:J.press、購入元:ヤフオク着用目的:普段着

こちらは普段着として買ったベージュのスーツです。肩パッドもなくウエストの絞りも緩く、コットンナイロン素材なのでカジュアルで着やすいです。流行りのベージュで、流行りのツーインタック、流行りのダブル裾。流行りのクラシックな形です。まあいいですね。まあただ、すっごくいい所も取り立てて嫌な所もないです。ジャケットが若干大きいのが難点ですが、安く手に入ったという得点があるので、今言った2つがちょうど相殺し合って、何もなくなります。あとJ.pressは本国ものと日本のライセンスものが分かれてるのか、そこら辺のことが調べてもよく分からなかったです。本気の本気で調べれば分かるんだろうな、とは思います。着画です。

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では最後、4着目。

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ブランド:green label relaxing、購入元:ヤフオク、着用目的:普段着

最後は普段着で着るネイビーのコーデュロイのスーツです。さきほどのベージュのスーツが春夏ものだったので、秋冬ものが欲しいということで購入しました。形自体もベージュのスーツとは対照的で、こちらは襟が細くて胴もタイト、ズボンもノータックで細身でくるぶし丈。ベージュのスーツがクラシックなのに対してこちらはモダンな形ですね。

green label relaxingユナイテッドアローズの若者向けのオリジナルブランドで価格も安く、僕が購入したのは、さらにそれの着古された叩き売りの古着だったので、手に入れた当初は正直舐めていました。まあ一旦着てやるけど、飽きたらすぐに捨てるから、わかるよね?いいよね?的な向き合い方でした。すっごく支配的な関係ですよね。ハンガーにかかったこのスーツを片手でむしるように剥ぎ取って軽食をつまみながら着替えたり、スラックスの膝が出るのを承知の上でガンガンしゃがんで立ち上がるというハードなスクワットをかましてみたり、街に出たら出たで駅前広場のカチカチのアスファルトの上に寝そべったかと思うとそのまま右にゴロゴロ転がって、舗装されていない土まる出しのゾーンに進行してみたり、帰宅早々まるで背負い投げするかのような勢いでジャケットを体から剥いだかと思うと、体勢を取り直して片足を踏ん張り、ジャケットを持った腕を思いっきり振って、壁にぶん投げるなどしていました。すっごく支配的な関係ですよね。

ただその支配的な関係にも段々と変化がありました。僕にとって気軽で都合のいいこのスーツは、一番手に取りやすく、ふと気づいたら着用頻度No. 1のスーツになっていたんです。あれ…俺…またこいつ選んでる…。そこで僕のこのスーツに対する向き合い方が変わりました。好き放題に着るだけ着て上下、壁に叩き付けて保管していたのが、ちゃんと、上下畳んで保管するようになりました。その上からファブリーズを降るようにもなりました。空いた時間にはアイロンをかけてあげるようにもなりました。今やこのスーツは僕を沼らせ、むしろ僕が支配されている。そんな話も、あるくらいです。そんな話も、あるくらいですよ。着画です。

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以上です。2022年に買ったスーツの感想でした。

 

西村賢太さんの私小説「芝公園六角堂跡 」の衝撃(ネタバレあり)

f:id:sasasava:20220211225652j:image芝公園六角堂跡 狂える藤澤淸造の残影

今月5日西村賢太さんが亡くなった。タクシーで意識を失い病院に運ばれたがそのまま息を引き取ったらしい。ぼくは訃報を聞いたときああ残念だなと思うと同時に「まあそうだよな」と納得していた。というのも西村さんの日記形式のエッセイシリーズを読み、その豪快な生活ぶりを知っていたからだ。そのエッセイには、今日何を食べた、何を飲んだ、何時に寝た、何時に起きたというのが細かに書かれているのだけれど、毎日爆食い爆飲みの連続でしかも西村賢太さんは10代の頃からのヘビースモーカー。その上朝寝て昼起きる昼夜逆転サイクルの日々。amazonレビューで匿名のユーザーに「こんな生活をしていて体は大丈夫なのか」と心配されていたほどだ。大丈夫じゃなかった。「まあそうだよな」と思った。

◼️西村賢太さんの私小説すべらない話

今回は西村賢太さんの、「芝公園六角堂跡 狂える藤澤淸造の残影」(狂える〜のサブタイトルは文庫版のみ)という本を紹介したい。その前に私小説とはなにか、西村賢太さんの私小説とはどんなものかを説明しようと思う。まず私小説とは。作者自身が実際に経験したことや心理を素材に、脚色を加えたりストーリーを膨らませて描かれた小説のことだ。つまり本当の話をベースにしているけど、嘘も含まれる物語ということだ。そして西村賢太さんの私小説はどんなものか。西村さん本人が自身の作品は笑いを想定してしていると語っている通り、西村さんの私小説はとにかく笑える。自身の情けない部分や、貧しい生活、ダメなところをこれでもかと曝け出して、ときには読んでいるこちらが引いてしまうような行動や言動もあるのだけれど、そこに必ず笑いがある。というのが西村さんの私小説だ。

自分が実際に経験したことを脚色して盛って、笑える話にする。ぼくは、「西村賢太さんの私小説」は「すべらない話」に近いんじゃないかと思う。

◼️「芝公園六角堂跡 狂える藤澤淸造の残影」

さて、ここからが本の紹介だ。「芝公園六角堂跡 狂える藤澤淸造の残影」は2015年〜2016年までの間に文芸誌に掲載された「芝公園六角堂跡」「終われなかった夜の彼方で」「深更の巡礼」「十二月に泣く」の四篇からなる連作短編集だ。ぼくはこの本をよんで衝撃を受けた。これまでも西村さんの作品は読んでいたが、これは他のどのジャンル、映画、漫画、音楽、小説でも今まで見たことがない。私小説というのはこんなことができるのかと思った。こんなこととはどんなものかを説明していく。まず、一編目に収録されている「芝公園六角堂跡」が後の三編を貫く柱となる作品だ。あらすじはこうだ。

主人公の北町貫多は大ファンのミュージシャンからコンサートの招待を受ける。ライブに高揚し会場を後にする貫多だったが、その会場の前面は貫多が没後弟子と自認し私小説を書く理由にもなった作家、藤澤淸造の死地だった。以前は頻繁に訪れていたその地から、有名な文芸賞を取りメディア露出で多忙な貫多は長らく遠ざかっていた。ここ数年名誉欲が勝り、藤澤淸造に認められるために私小説を書くという本来の目的からずれていたことを自覚した貫多はその地に佇み、決意を新たにする。そしてコンサートに招待してくれたミュージシャンに対し

「しみじみ、その意志を蘇らせてくれた、間接的な契機であるJ・Iさんとの流れが有難かった。」

と締めくくる。一編目はこんな話だ。

◼️二編目「終われなかった夜の彼方で」

そして、続く二編目。この話を読んでぼくは衝撃を受けた。どういう話かというと、なんと、一編目の「芝公園六角堂跡」の反省と後悔、ここが気に入らないとダメ出しをするという話なのだ。つまり西村さんが一編目の「芝公園六角堂跡」を文芸誌に発表しその後、後悔した実際の体験を描いた私小説であり、続編なのだ。ぼくは泡を吹き卒倒した。なるほどこれは私小説でしかできないし、見たことがない、こんなことができるのか、と思った。そして西村賢太が、北町貫多が、どのポイントを気に入らないと言っているか。名誉欲を取り払い、藤澤淸造に向き会う決意をするという話なのにも関わらずライブに招待してくれたミュージシャンに対し、

「しみじみ、その意志を蘇らせてくれた、間接的な契機であるJ・Iさんとの流れが有難かった。」

とおもねるようなエクスキューズをいれてしまった、それによって、本来のテーマが中途半端になり、ブレてしまったという部分だ。貫多の反省と後悔は延々と続き、こんなエクスキューズは削除して本当はこう書きたかったのだと、書き直した「本来の文章」を作中で発表しだすというところまで行く。自らかいた私小説の反省と後悔を書いた続編。繰り返しになるが、こんなことができるのかと思った。ぼくは最初に「西村賢太さんの私小説」は「すべらない話」に近いと思うと書いたが、もしこれがすべらない話で行われたら。こういうことになる。

ーカジノテーブルのような、大きな長方形のテールの正面にあたる一辺に腰掛ける坊主頭の男。テーブルを囲みその坊主頭の男に視線を注ぐ十数人の男たち。男たちはスーツに身を包み、にこやかながらどこか緊張した面持ち。「じゃあ、いきまーす!」高らかに声を上げ、男たちの名前が書かれた多面サイコロを両手の間に挟み、くるくると弄んだ後、円形の窪みに放り投げる坊主頭の男。サイコロは動きを止めその表に現れた名前はー。「お、ジュニア」指名を受け、話し出す千原ジュニア。「えーあのですね、我々の先輩に木村祐一さんという方がいまして、ほんとあの方、何事もすごくきっちりしてる、先輩の代表、みたいなとこありますよね。で、その木村さんがですね、加湿器を買いに行くんで『ジュニアついてきてくれ』いうて電気屋までついて行ったんですよ。ほんで、『あ、この加湿器ええな〜、じゃあ俺これ買うわ〜』言うて『店員さんごめんなさい〜これください〜』言うたら店員さんがですね、『あのこちら、青色とピンク色がございますけども、どちらにしましょう』言われた瞬間にキム兄が、『考えたらわかるやろ!』言うてブチギレたんですよ!『なんで40過ぎた男が家にピンク色の加湿器買うねん!青に決まってるやろ!』言うてるキム兄が、真っピンクのポロシャツ着てたんですわ。」爆笑に包まれる会場。満足そうに高笑いをする坊主頭の男。それを横目に、してやったりとの表情を浮かべ「いやほんまに、一緒にいるだけで、こんなおもろい話を提供してくれる木村祐一先輩、感謝しかないですわ!」と続ける千原ジュニア。弛緩した空気を仕切り直すように、坊主頭の男によって再度振られる多面サイコロ。次の話者へとバトンが繋がれ進行していく番組。すると、してやったりとのえびす顔から、徐々に苦悶の表情へと変化していく千原ジュニアの姿が。一体何がー。「えーいきまーす、あジュニア」そこで再びサイコロの表に現れるジュニアの文字。「...あのおー、さっき木村祐一さんの話したじゃないですか...、でこうこうこういうことがありました!言うて、木村さんの、その言うたら、きっちりしてる部分が行き過ぎて、こんなおかしなことなってましたよー、こんなおかしな人ですよ〜!って言う話じゃないですか。なのに、ぼく『こんなおもろい話を提供してくれた、木村さんに感謝しかないですわ』って最後言うてて、あれ、絶対にいらんかったと思うんですよね...。せっかく、きっちりしてる先輩の代表じゃないすかって、前半に振ってて、オチまで行けたのに、そこで最後にそんなこと言うたら話、台無しじゃないすか。いやほんとはこう言いたかったんですよ、ほんまは!えー、じゃあオチ言いました!ほんで『いやあの人ほんまに、こういうことあるんですわ!きっちりしてるんちゃいますよあの人、はっきり言うときます、キム兄は、派手なポロシャツ着た天然キャラですわ!』...こう言いたかったんですわ。」心痛そうな表情から語られる反省と後悔のすべらない話に、爆笑に包まれる会場。だがいまだ千原ジュニアの表情は、えびす顔再びとはいかず、苦虫を噛み潰したように沈んでいるのであった。

ということになるのだ。長くなってしまったが、これほどおかしなことが西村賢太さんの私小説では行われているのだ。

◼️三遍目「深更の巡礼」四遍目「十二月に泣く」

続いて、三遍目、四遍目はどうなって行くのかというと、三遍目「深更の巡礼」では、反省と後悔の泥沼から気を取り直し、本来の目的である、「藤澤淸造に認められるために作品を書く」ことに邁進する、という話になる。ここまではいい。続く四遍目、最後に収録された「十二月に泣く」を読みぼくはまた衝撃を受けた。どういう話か。なんと、二編目の「終われなかった夜の彼方で」で書いた反省と後悔は蛇足だったと、また反省と後悔をするという話なのである。反省と後悔を振り切ったのに、また反省と後悔を始めると言う話なのだ。その内容とは、一編目でしてしまったミスはミスとして自分の中で折り合いをつければいいものを、わざわざ二編目で私小説として作品に仕立てる必要はなかったのではないかというものだ。これまた驚嘆である。すこし構造がややこしく思う方もいるかもしれないのでわかりやすくまとめると、

一編目「芝公園六角堂跡」決意

二編目「終われなかった夜の彼方で」一編目の反省と後悔

三遍目「深更の巡礼」決意に沿って邁進

四遍目「十二月に泣く」二編目の反省と後悔

ということになる。何をやってんだこいつと思う方もいるかも知れないが、この決意と反省の繰り返しが、読んでいるととても切実で心に迫るのである。そしてまた繰り返しになるが、またしても、こんなことができるのかとぼくは思った。三遍目、四遍目の流れがすべらない話だったとしたら...。こうなる。

ー坊主頭の男によって次々とサイコロが振られ、進行していく番組。そこには、沈みきっていた表情に徐々に笑顔と自信を取り戻す千原ジュニアの姿が。「いきます、おジュニア」そこでサイコロにみたび現れたジュニアの文字。「あのーうちにはですね、残念な兄がいるわけですよ.......」笑顔と自信を取り戻し、鉄板ネタである残念な兄・せいじのエピソードを見事な話術で語るきる千原ジュニア。その姿に、会場にはまたしても爆笑が。そしてえびす顔再び、となった千原ジュニア。しかし、またしても番組が進行するにつれあの苦悶の表情に。一体なにがー。「えーいきます、おージュニア」そこで4度目となるジュニアの文字が。「...あのーぼく一本目にキム兄の話したじゃないですか?ほんで、2本目でその話のここちゃうかったなーって反省した話したじゃないすか?...今んなってあれ、いらんかったんちゃうかなって思うんすよね...。いやだってね、わざわざすべらない話ですよー!言うて、反省したってしょうがないじゃないですか。だったらそこは自分の中で処理して、2回目、松本さんが、サイコロ振りました、ほんでジュニアバーン出ました、ほんなら『いやこの前せいじがね!』ってやってもよかったんちゃうかなと思うんですよ。ただでさえ一回目、キム兄はきっちりしてる言うけど、おかしな人ですよ〜って話を、いらんこと言うて台無しにしてもうて...あれもやっぱりいらんかったな..。でしかも2回目で反省って....。もうええわ...。もうええわ!もうええもうええ、いらんかった!もうはっきり言うときますわ、2回目の反省の話あれいらんかったですわ!」最後に至っては絶叫となっているその反省と後悔のすべらない話に、爆笑に包まれる会場。千原ジュニアは苦悶に歪む表情から、無力な自分がやるせないという泣き顔に変わり、そしてその中にはどこか、そんな自分をも笑い飛ばさんばかりの決意を感じさせる色も滲ませているのであったー。

ということになるのだ。これほどまでおかしなこと、面白いことが「芝公園六角堂跡 狂える藤澤淸造の残影」の中で、私小説という形式を生かし描かれているのである。これが、ぼくが今までどのジャンルでも見たことがないと衝撃を受けた理由だ。

◼️おわりに

ここまで「芝公園六角堂跡 狂える藤澤淸造の残影」についてネタバレ全開で書かせてもらったが、この作品で描かれた決意と反省のループの切実さや、それに対する共感は実際に本を読まないと得られないものだと思う。ここまで読んで下さり興味を持ってくれた方はぜひ読んで頂きたいとおもう。

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カルチャー加藤くんのスポーツとの別れと子連れ狼

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僕はスポーツをやったことがない。体育の時間とか小学校低学年のころ習い事でスイミングスクールや空手には通っていたけど、どちらも好きになることなくなんとなくやめたし、中学高校に至っては全く運動部に入っていない。スポーツをやったことがないというのがコンプレックスに思うことがある。中学の段階で運動部に入っていたら活発な面をぐいぐいと伸ばし、高校時代丸ごと松本信者(ダウンタウン松本人志さんを熱狂的に支持する人たちのこと)として過ごすことなく、爆笑問題カーボーイを唯一の拠り所にすることなく、女の子ともちゃんと接すことができ、学生生活に花を咲かせ、この苦しいことばかりの現世をうまく渡って行けるような人間になれたのでは、強い人間になれたのではないかとほぞを噛むことがある。しかし僕がスポーツをやらずお笑いや映画などに執着するのは、宿命づけられていたのではないかと思い至った出来事がある。

◼️子連れ狼 

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まず子連れ狼のこのエピソードを聞いて欲しい。妻を殺された主人公一刀は復讐の旅に出ることを決める。そこで一刀はまだ赤ん坊の息子、大五郎の目の前に刀と鞠を置く。もし大五郎が刀を選べば、復讐の道を共に歩む。しかし鞠を選べばこの先の修羅の道を耐えられないと、自分の手で息子を殺すと決める。結果大五郎は刀を選んで子連れ狼スタート!になるのだけど、ぼくはこの話を知った時「この話ぼくにもあったな」とある出来事をふっと思い出した。それは僕がまだスポーツをやる可能性を充分に秘めていた小学校1年生の頃の記憶だ。

◼️トイザラスで迫られた選択

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僕はお母さんと府中のトイザラスにきていた。クリスマスとか誕生日ではなく普通の日だったと思う。子供ながらに「なんでこんな日にトイザラス来させていただけてんの、うれしさMAXや」といった感じだったと思う。お母さんと手を繋いでキラキラと輝くおもちゃたちを眺めていると、「あ、どうやら今日は買っていただける日だな」と僕は勘付いた。このチャンスを逃す手はないと思った。だけど気弱な僕はあからさまにこれ欲しい!みたいな快活な物欲の発露ができない。そのため気になったレゴブロックセットを手に取りいろんな角度から興味深げに眺める、箱の絵に目を凝らして詳細を丁寧に吟味するなどの態度で「僕これ欲しいねん」というメッセージをお母さんに送り続けていた。するとお母さんから「それ買ってあげようか?」という言葉を頂いた。「もう今日スペシャルな日や!」と心躍る僕。しかし、お母さんはちょっと待ってといった感じで、僕の前に野球のグローブとボールを出してきた。「これパパとキャッチボールとかしたくない?」僕は悩んだ。パッと欲しいなと思ったのはレゴブロックセット。自分なりにブロックを組み替えて思いのままに宇宙船を作る事自分がリアルに想像できるし、想像するととってもワクワクとして脳から幸せホルモンがジュワッと出てくるのを感じる。でもこのグローブとボールもなんかかっこいい。それにここには僕の知らない楽しい世界が広がっているのかもしれないと思った。今まで行ったことがないところに行けるかもしれないと思った。でも結局僕はレゴブロックセットを選んだ。もしあの時グローブとボールを選んでいたら僕は今の僕ではなかったかもしれない。大五郎が刀を選んだようにグローブとボールを選んでいたら、この修羅の世界を強く逞しく生きていけたのかもしれない。でも僕はレゴブロックセットを選んだ。鞠を選んだ。もしお母さんが一刀だったら「うわ、レゴかい、ひ弱や、あかん、あかんわ、こいつ」ズバッと一太刀食わされて死んでいた。僕は元々、最初からこの世を生きていけないと判断されるような人間だったのだ。最初から松本信者で、最初から爆笑問題カーボーイファンだったのだ。僕はいーじゃんと思っている。僕Love