カルチャー加藤くんの文化活動

映画、本、喫茶店、文具、音楽、ファッション、アート、お笑いとかのカルチャーのはなし

カルチャー加藤くんのスポーツとの別れと子連れ狼

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僕はスポーツをやったことがない。体育の時間とか小学校低学年のころ習い事でスイミングスクールや空手には通っていたけど、どちらも好きになることなくなんとなくやめたし、中学高校に至っては全く運動部に入っていない。スポーツをやったことがないというのがコンプレックスに思うことがある。中学の段階で運動部に入っていたら活発な面をぐいぐいと伸ばし、高校時代丸ごと松本信者(ダウンタウン松本人志さんを熱狂的に支持する人たちのこと)として過ごすことなく、爆笑問題カーボーイを唯一の拠り所にすることなく、女の子ともちゃんと接すことができ、学生生活に花を咲かせ、この苦しいことばかりの現世をうまく渡って行けるような人間になれたのでは、強い人間になれたのではないかとほぞを噛むことがある。しかし僕がスポーツをやらずお笑いや映画などに執着するのは、宿命づけられていたのではないかと思い至った出来事がある。

◼️子連れ狼 

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まず子連れ狼のこのエピソードを聞いて欲しい。妻を殺された主人公一刀は復讐の旅に出ることを決める。そこで一刀はまだ赤ん坊の息子、大五郎の目の前に刀と鞠を置く。もし大五郎が刀を選べば、復讐の道を共に歩む。しかし鞠を選べばこの先の修羅の道を耐えられないと、自分の手で息子を殺すと決める。結果大五郎は刀を選んで子連れ狼スタート!になるのだけど、ぼくはこの話を知った時「この話ぼくにもあったな」とある出来事をふっと思い出した。それは僕がまだスポーツをやる可能性を充分に秘めていた小学校1年生の頃の記憶だ。

◼️トイザラスで迫られた選択

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僕はお母さんと府中のトイザラスにきていた。クリスマスとか誕生日ではなく普通の日だったと思う。子供ながらに「なんでこんな日にトイザラス来させていただけてんの、うれしさMAXや」といった感じだったと思う。お母さんと手を繋いでキラキラと輝くおもちゃたちを眺めていると、「あ、どうやら今日は買っていただける日だな」と僕は勘付いた。このチャンスを逃す手はないと思った。だけど気弱な僕はあからさまにこれ欲しい!みたいな快活な物欲の発露ができない。そのため気になったレゴブロックセットを手に取りいろんな角度から興味深げに眺める、箱の絵に目を凝らして詳細を丁寧に吟味するなどの態度で「僕これ欲しいねん」というメッセージをお母さんに送り続けていた。するとお母さんから「それ買ってあげようか?」という言葉を頂いた。「もう今日スペシャルな日や!」と心躍る僕。しかし、お母さんはちょっと待ってといった感じで、僕の前に野球のグローブとボールを出してきた。「これパパとキャッチボールとかしたくない?」僕は悩んだ。パッと欲しいなと思ったのはレゴブロックセット。自分なりにブロックを組み替えて思いのままに宇宙船を作る事自分がリアルに想像できるし、想像するととってもワクワクとして脳から幸せホルモンがジュワッと出てくるのを感じる。でもこのグローブとボールもなんかかっこいい。それにここには僕の知らない楽しい世界が広がっているのかもしれないと思った。今まで行ったことがないところに行けるかもしれないと思った。でも結局僕はレゴブロックセットを選んだ。もしあの時グローブとボールを選んでいたら僕は今の僕ではなかったかもしれない。大五郎が刀を選んだようにグローブとボールを選んでいたら、この修羅の世界を強く逞しく生きていけたのかもしれない。でも僕はレゴブロックセットを選んだ。鞠を選んだ。もしお母さんが一刀だったら「うわ、レゴかい、ひ弱や、あかん、あかんわ、こいつ」ズバッと一太刀食わされて死んでいた。僕は元々、最初からこの世を生きていけないと判断されるような人間だったのだ。最初から松本信者で、最初から爆笑問題カーボーイファンだったのだ。僕はいーじゃんと思っている。僕Love