カルチャー加藤くんの文化活動

映画、本、喫茶店、文具、音楽、ファッション、アート、お笑いとかのカルチャーのはなし

PARCOポスター展(in調布PARCO )を、Photoでもって皆さんと共有

f:id:sasasava:20191030205607j:image(調布PARCO)

東京では渋谷、池袋などに陣取りカルチャー感漂うファッション小売施設としての立ち位置を確固たるものにしているPARCOが、なぜか私の地元である東京の片田舎、調布駅前にもそびえ立っている。

これは非常におかしな話で、例えば銀座、丸の内、渋谷、表参道、新宿に直営店舗を展開するApple新小岩に建設されるようなものである。もし「Apple新小岩」なる施設の着工をしようものなら、いままで熱を上げてApple製品をコンプしてきたApple信者たちも、百年の恋も冷めるといった態の白け顔でMacをドブ川に沈める情景がありありと眼に浮かぶ。

この「Apple新小岩」というどうにも間の抜けた響きを、「調布PARCO」も「Apple新小岩」程ではないものの(そんなものは存在すらしないのだが)、確実に有している。

ただ、だからと言って「滅べや。」と言っているわけではなく、その若干のミスマッチ具合に特有の面白みと愛着を感じている私である。

◾️PARCO50周年記念 PARCOポスター展(inカルチャー加藤くんの文化活動)

ということで、ですね!そんな調布PARCOでPARCOポスター展なる今までのPARCOのポスターを展示する、面白い催しをやっていたので写真入りのご紹介をして、みなさんと一緒に楽しみたいと言った気持ちです。

羅列に次ぐ羅列でダラダラと展開しようと思うので、飽きた時点で去ってもらって構わないです。

実際展覧会に来た気持ちで、手を繋いで一緒に観ていきましょう!

f:id:sasasava:20191030205521j:image

内田裕也が泳いでいます。面白いですね。内田裕也が若いのも面白いけれども、摩天楼をバックにビルの屋上のプールで着衣水泳をする内田裕也をポスターにしようという発想が面白いですよね。とてもかっこいいですね。

f:id:sasasava:20191030210543j:image

超かっこいいです。これはかっこいいです。仰向けとうつ伏せ。水上とプールサイドという違いこそあれ、どちらも水に触れていないですね。さっきの遮二無二に泳ぐ内田裕也さんとは対照的で、シラッとしていてストレートにかっこいい。

f:id:sasasava:20191030211617j:image

これは非常にかっこかわいいです。ぼくの1位です。「早々に1位出すて、あとは下降の一途を辿るんかい」と怒気を含んだ声で言わないでほしいです。まだまだかっこいいポスターが待ち受けているし、それぞれ、自分の1位を持てばそれでいいわけですから。

なんですかね、この古い映画のポスター感、何年代とかはわかんないですがアメリカ映画の引用、オマージュなんでしょうか。なんだろうこの感。この感、この感なんだろ。とか言いながら浮かんだのは、

f:id:sasasava:20191030213948j:image

タランティーノの「デス・プルーフ」です。なんか近いですよね。ただPOP感のあるPARCOの方と比べると、こちらは映画の内容も相まってダークトーンな気がする。&「デス・プルーフ」は最近の映画なんでこれから引用ってことはない。&タランティーノも引用、オマージュ作家なので何かからのオマージュなんだろうなあと思って浮かんだのが、ぼくは見てないですが、

f:id:sasasava:20191030214807j:image

「ダーティ・メリー/クレイジー・ラリー」

うーんPARCOの奴とは雰囲気が全然違う気もするけど、二画面とイエローアメ車は共通してる。もうこれ以上はぼくはわからんですが、ともかくかっこかわいい僕の1位。

f:id:sasasava:20191030215345j:image

まず、鬼反射していてすみません。まあそれはそうと、

送り仮名はないですが、「さそう」ではなく「いざなう」と読みたい空気のあるポスターですね。このニッポン感。さっきとは打って変わってのニッポン感。しかもなんか外国が喜びそうなthe・ニッポン的な感じ。そんで連想したのが

f:id:sasasava:20191030223105j:image

70年代〜80年代の、山口小夜子さんを起用した資生堂のポスター。左上のやつとか文字の入り方も似てますね。日本的な美が、キてた時代です。日本のデザイナーズブランドが世界に進出しだした時代ですね。山口小夜子さんはその時代のアイコン的な存在だったと思います。PARCOの方が何年のかは分かりませんが、この頃だったんじゃないかあなんて、思います。違うかもしれません。調べません。次です、次、めっちゃいいです。

f:id:sasasava:20191030223703j:image

すごいでしょ!高田文夫先生です。春風亭昇太さんも。よく見ると浅草キッドさん、松村邦洋さん、立川志らくさん&立川談春さん、江頭2:50さん&大川興業総裁の大川豊さん。

いいですねえ〜。

日本的なモノとして、日本演芸界とお笑い界の芸人を起用するという神かがりセンスですね。かっこいいです。後ろの方にちょこんと三味線を引く女性がいるのもなんとも味わい深いです。あと芸人を起用してるのにコピーが「礼儀 正しい 日本人。」ってとこがユーモアがあるというか皮肉な感じでなんとも、、、よい。

f:id:sasasava:20191030230540j:image

近年モノです。びっくりするほど浮かれてます。トナカイのツノに電飾這わせてます。逆にめちゃくちゃいいです。逆にです。ダサいです。いやダサいというか、そう感じるのは年代が変に近いからだと思います。すごい古いものとか新しいものはかっこいいと感じるけど、ちょっと古いものって一番イケてないと思っちゃうんですよね。だから20年後に見たら「え、かっこいい!」ってなるかもしれないですね。いやならないかもしれないです。かっこいいとかじゃない気がしてきました。わかんないです。

 

はい、ということでですね、ぼく的に特筆すべき、なポスターでした。まだまだ良いポスターあるので、貼っておきます!(いちいち感想文をサンドイッチしていると長くなりすぎるので貼るだけにします)ぜひ、お楽しみください。

f:id:sasasava:20191030230521j:image
f:id:sasasava:20191030230525j:image
f:id:sasasava:20191030230533j:image
f:id:sasasava:20191030230529j:image
f:id:sasasava:20191030230557j:image
f:id:sasasava:20191030230544j:image
f:id:sasasava:20191030230548j:image
f:id:sasasava:20191030230552j:image
f:id:sasasava:20191030230536j:image

◾️閉館

はいということで、いかがだったでしょうか?PARCOポスター展。見てるだけで楽しいですよね。見てるだけで楽しいし、ポスターアートからその時代やカルチャー的な背景、、、、ってそんな偉そうなことが言える知識を持ってるわけではないんですが、まあそういうものがチラッとみえると、つまり「俺の知ってるアレっぽい!ああこういう時代だったのかあ。あこういうのが流行ってたのかなあ。」なんて思ったり、ネットでdigったりするのって、面白いなあと、思った次第でございます。

ということでお読みいただきありがとうございました。PARCO &調布PARCO love

 

てれびのスキマ「爆笑問題はなぜ“つまらない”ボケを繰り返すのか?」にカルチャー加藤くんが勝手に補足。

f:id:sasasava:20191027225511j:image

◾️爆笑問題に恋した瞬間

(いきなりですが!この項は、すごく個人的な内容で本文とは関係ないので、読み飛ばしていただいても結構です!)

ぼくは爆笑問題が大好きです。
この好きはLikeではなくLoveです。ふざけているのではなく率直に、この感情は恋です。
といっても僕は恋愛という面では、心からちゃんと人を好きになったことがないと思います。チェックシートのように「顔いいかな」「話しまあまあ合うな」「家近いな」よし好きでOK、よし好きでOK。みたいな打算丸出し採点方式の好きならあります。だからみんなが異性(同性でも)に対して掛け値無し、心から好き。という感情は共感できません。ただ爆笑問題に対しては、そのみんながいう好きってこういうことなのかなと思います。
その恋をする瞬間を、いまでも覚えています。


僕が中学生の頃、爆笑問題さんが司会を務める「雑学王」を眺めていました。この番組はクイズ番組で、特に爆笑問題さんの色が濃く出ている番組ではありません。それに、特にグッときたやり取りがあったとか、太田さんのボケにおもわず笑ってしまったとか何かのきっかけがあったわけではなく、この2人が司会する姿をボオと眺めていて、ただなんとなく、
「あ俺はこの人達が好きなんだな」と気づきました。それは世間的にいう、ビビッとくる恋だったと思います。そしてそれから10年近く経った今でも恋したままです。
すごく個人的で!つまらない話かもしれません。が、
僕は人格の部分にまで爆笑問題が食い込んでいるので、本文に僕のくだらない感情が出ないように、アタマで処理し切らせてください!もう少し続きます!


もっと前、
小学生の頃、僕はクラスの新聞係でした。ある時、その新聞のワンコーナーで「好きなテレビ番組ランキング」なる企画が立ち上がり、僕が担当記者と相成りました。クラス全員に好きな番組を聴いてゆく中で「うーん、、なんだろう?I.Qサプリ、、いや、、めちゃイケとか、、、」などと煮え切らない態度のクラスメイト全てに対し、当時好きだった、爆笑問題というよりこの時は番組です。「(爆笑問題の)バク天おもしろくない?見てる?ねえねえ?面白いよね?ねえどう?今週のドミノ倒しのやつみた?ああー!でしょ?面白かったよね?じゃあバク天でどう?」などと切迫した態度で迫まり続け、「じゃあバク天でいいよ」という一言を無理矢理にでも引きずり出し、見事「爆笑問題バク天」を、1位に押し上げました。
この時は気づいていませんでしたが、
僕は爆笑問題に恋をする運命だったのかもしれません。

◾️太田光の「表現論」

さ、いよいよ本編です
てれびのスキマさんが書いた「爆笑問題はなぜ”つまらない”ボケを繰り返すのか?太田光の「テレビ論」」という記事に勝手に僕が補足を加えます!と、
いうのもですね、てれびのスキマさんのいう太田さんが「つまらないボケをする理由」とは別に、もう一つ、「つまらないボケをする理由」があるんじゃないかとおもったんです。
まず前提の「つまらないボケ」とは太田光さんが共演者にしつこくしょうもないことを繰り返す、進行の妨げになるほど騒ぎ立てる、あれのことですね。見たことありますか?そしてどう思いますか?ぼくはその姿を見ると、自然に笑みがこぼれます。
爆笑問題はなぜ“つまらない”ボケを繰り返すのか? 太田光の「テレビ論」(てれびのスキマ) - 個人 - Yahoo!ニュース
と、
当該のこちらを読んで頂ければ幸いですが、
お時間のない方に向けて、僭越ながら
ほんとにざっくりと、ほんとうにざっくりとこちらの記事の結論を要約すると、
「テレビの特性、テレビでハマるものを考えぬき、「面白い事を言う人」ではなく、おちゃらける奴・道化になることで「面白い人」になるをことを選んだため」
ということだと思います。まさにタイトルにもある通り
太田光の「テレビ論」」からなぜつまらないボケをするのかが導かれていく興味深い記事です。
そこでぼくが何を語りたいかというと、
爆笑問題はなぜ”つまらない”ボケを繰り返すのか?太田光の「表現論」」です。
そう、太田光の「表現論」から答えを導きたいと思います。

◾️ピカソの「オギャー!」

2006年「爆笑問題×東大 東大の教養」という特番がありました。シンポジウムのような形で現役東大生を前に、東大教授と爆笑問題が「教養」についてトークをするという番組です。
その中で太田さんが高校時代、わけのわからないシュールなピカソの絵を見て一度だけすごく感動したことがある。そして、それはなんでもありなんだとピカソから言われたような気がした。と語ります。
そしてピカソの凄さについてこう続けています。


太田:ピカソとかっ、、がやってることって、例えば赤ん坊がですよ、生まれて、「オギャー!」って泣いてるようなことなんだよね、あれ。
なんだかわかんないけど、世の中にそのまんま訴えてる。そのまんま、、!
(東大教授:でもさそれまでにピカソはめちゃくちゃ絵が上手くて、、)
太田:そうそうそうっ!だからピカソはその段取りを踏んでるんだけどっ!
(中略)
で赤ん坊はなんであれ、「オギャー!」って言えるかっていうと、赤ん坊はまだバカだって周りが思うから、こいつは何がい、、いいたい、、おっぱいが欲しいのか眠いのかっていうのはこっちが勝手に考えてくれますよね。「オギャー!」って言ってるからなんか言いてえんだろうと。その大人と赤ん坊の関係をピカソダヴィンチっつうのは、大人になってから気づけたからすごいんだと思うんだよね。周りが「あっ、あいつがなんか言ってる。なんだろう。」って耳を傾けて、こっちが勝手に解釈してくれる。
(中略)
そういう世の中かえるっていうことを、やる人っていうのはそういう信頼関係を築く、、築いてからじゃないとなかなか「オギャー!」って言えないでしょ

 

ぼくは、太田さんの「つまらないボケ」とはまさにこの「オギャー!」なのではないかと、思うのです。
2006年当時、爆笑問題まさにテレビバラエティ、お笑い界の頂点に登りつめたタイミングでした。そのお笑いの才能は世間にも同業者にも認められ、政治やこうした学問の世界にまでフェアに切り込んでいく。
爆笑問題はその時、太田さんがここで語った「ピカソはその段取りを踏んでる」といった状態だったとおもうのです。つまり技術・実力が認められている状態。
そこで「オギャー!」と叫んでも聞いてくれる、信頼関係を築けると思った。その上で、ピカソのようになんでもありな世界へと歩を進めようとしていたのではないかと思うのです。


これはぼくのふわっとした認識なのですが、このくらいの時期より前の爆笑問題は「つまらないボケ」をするというイメージは今ほどはなかったと思います。特にこの辺りからもう一段階「つまらないボケ」を強めていったという印象があるんです。(ただこの時期より前に、無鉄砲につまらないボケを飛ばす芸風はあって。そのことはてれびのスキマさんの記事に詳しく書いてあります。)今と比べるですがまだ、不要に騒ぎ立てたり、漫才の冒頭で奇声をあげて客席に飛び込むといった奇行ともいえる「つまらないボケ」はしていなかったと思うんです。
つまりこの時期から太田さんは「オギャー!」と叫びだしたんじゃないかと思うのです。

◾️バカボンパパの凄さ

そしてこの「オギャー!」と叫び、それを聞いてくれる関係を築いた、表現者の在り方が、まさに理想なのだと太田さんは語っています。
2008年「JUNK座談会スペシャル2008」というラジオ番組です。「好きな漫画のキャラクター」というトークテーマで、太田さんがバカボンパパの凄さを語る一幕がありました。

 

太田:例えばさいろんなキャラクターがいるじゃない?
ええーこう例えば北斗の拳がいて、ええーなんだ愛と誠の誠がいて、あしたのジョーがいて、タイガーマスクがいて、星飛雄馬がいて、じゃあでそこにバカボンパパがいるときに、、誰が一番っ!、、例えばっ、、あじゃあ赤塚キャラでもニャロメがいて、イヤミがいてって、なった時に誰が一番!そのお〜ボケか!?みたいに考えるわけ。

そうすとどお〜考えても!イヤミとバカボンパパを共演させた時に、イヤミっつうのは、けっこう酷い目にあうんですよ。あのーね、ニャロメも合うんだよね。で、そういう変なボケのキャラクターいっぱいいんだけど、バカボンパパだけは常に自分が酷い目に合わす方なんだよ!
(中略)
いろんな最強キャラクターを集めた時に、ど根性カエルのぴょん吉だろうがヒロシだろうが「ああーやられちゃった!」みたいな場面があるけど、バカボンパパだけは
「これでいいのだ!」って常に笑ってる。
つまりこの!この!存在の仕方が、
俺はもうあの、すごい理想なの。

(中略)
みんな振り回されるの、パパに。
いろんなキャラクターを考えても、バカボンパパに勝てないと思うんだよね。
それを目指したいんだよね!おれは!
つまりその生き方が一番幸せだと思うの!

ここでいう
バカボンパパ」と「その他のキャラ」
の関係はまさに
「オギャーと鳴く側」と「聞く側」
の関係だと思います。そしてその関係こそが最強で、理想だと太田さんはいいます。なおかつ、その生き方が一番幸せだと断言します。

つまり太田さんは最強のボケとして、そしてそれが最強の表現者の態度だと思って「つまらないボケ」をしているのです。

以上が、ぼくが思う「爆笑問題はなぜ“つまらない”ボケを繰り返すのか?」でした!どうもありがとうございます。

◾️いいともグランドフィナーレの太田光(おまけ)

最後にですね。
2014年3月31日「笑っていいとも!グランドフィナーレ感謝の超特大号」の話をしたいと思います。
いいともグランドフィナーレと言えば、なんといってもあの「奇跡の共演」。
タモリ明石家さんまとんねるずウッチャンナンチャンダウンタウン爆笑問題ナインティナインというお笑い界の最強キャラクターが大集結した奇跡の瞬間でした。
とここで、
前項の漫画の最強キャラクターを集めた時にバカボンパパが最強という太田さんの話を思い出して欲してください。そして、そのバカボンパパを目指したいと言っていた太田さんを思い出してください。
「いいともグランドフィナーレ」はまさにその状況が、現実となった瞬間だったのです!
とそこで、では、「いいともグランドフィナーレ」での太田光は最強だったのか?答えは、
最強かどうかは松っちゃんもいるし!さんまさんもいるし!誰が最強とは言えないけども!
たしかに太田さんはいつもの太田さんで!
田中康夫を引き倒したり、橋田壽賀子をいじったり、「こんなメンバーで仲良くできるわけねえじゃねえか!」とカンペに毒づいたり、
バカボンパパのように、「オギャー!」と叫び続けていて、最高だった!
ということである。ということで全文披露させていただきました。ありがとうございました。爆笑問題love

f:id:sasasava:20191028121456j:image

 

ぼくがなぜラッパーのtohjiが大天才で、世界から戦争をなくすと考えているのか

f:id:sasasava:20191016061829j:image

ぼくはラッパーのtohjiを大天才だと思っています。
そしてtohjiが世界を変える、いずれは戦争のない平和で楽しい世界にしてくれると信じています。

その理由をウェブ上でみれるインタビュー記事での発言を引用して、解説します!

なぜミュージシャンなのに曲からtohjiを解説しないかというと、2つ理由があります。ぼくがヒップホップというジャンルに詳しくないことと、tohjiに惹かれた理由がインタビューで話す思想信条、ビジョンに感銘を受けたからです。


tohjiがなぜ大天才なのか?
Tohji:わかってねーなと思うこと - YouTube

まずこの動画をみてください。
僕自身tohjiを知りたいと興味を持ったのはこの動画からです。「わかってねーなと思うこと」という質問に対してtohjiが答えていることを要約すると、
「ネットによって全世界の人が見てるものや感覚を同時に共有してる。そしてそれは人類が生まれてから初めての状況だ、それをみんなわかってない。」ということです!
つまりここでなにがわかるかというとtohjiはこの「その人類初めての状況を意識して、表現することが大事」と言っているんです。なぜ大事だと思っているか後々わからせていきます。
とりあえずここを押さえてから次の話に行きます!さて次は、

 

tohjiがヒップホップ(ヒップホップ的なもの)をどう捉えてるかという話です!

そこでtohjiが「ラップスタア誕生シーズン1」
で言っていたことを引用します。


- YouTube
ーたぶん今一番新しくてカッコイイことやったら、結果的にヒップホップ的なものになる。

この発言の真意を解説します。
ですがその前に言っておきたいのがぼくはヒップホップやそのカルチャーに詳しいわけではないのであくまでぼくの解釈だということです。それを踏まえてどうぞ↓

さてヒップホップ的なものというのはなんなのか解説します。その解説をすればなぜ一番新しくてかっこいいのかも必然的にわかると思うので。

ヒップホップにはサンプリングという手法があります。過去にあった音楽をトラックに使ったり、はたまたメロディをそのままパクって新しい曲を作るという手法です。普通に考えるとパクリってあかんやんと思うかもしれません。
ではなぜパクるのか?過去には膨大な量の音楽があります。その中で名曲といわれる曲や古典といわれる曲だけで一生過ごしてしまえるような量です。ヒップホップというのはその地点から生まれた音楽なんです。もう完全にオリジナルなものは生まれない。だったら過去の財産をガンガンにつかって新しいものを作ろうよというある意味開き直った新しい価値観なんです。
そしてもう一つ、ヒップホップというジャンルはその価値観でいま新しい試みが世界中のアーティストによって行われています。現在進行形のまだ答えがないジャンルなんです。例えばお笑いの世界だと現在レジェンドと言われる人たちが新しい価値観を持ち込んで、表現を広げました。そしてそれが一つの答えとして定着しています。そしてその答えにみんなで向かっているという状態です。よく言われるのは飽和状態てことです。

tohjiはこう言っています。

【インタビュー】Tohji|ローカルからではなく、グローバルに突き刺す日本からのヒップホップ - FNMNL (フェノメナル)【インタビュー】Tohji|ローカルからではなく、グローバルに突き刺す日本からのヒップホップ - FNMNL (フェノメナル)

ー俺はお笑いが好きなんですけど、(ビート)たけしやまっちゃん(松本人志)は成るべくして成っていて、最近の芸人は「芸人になりたい」と思ってやっているから、そこが違う

ということでまとめると新しい価値観で若い人たちが作っている最中のジャンル。ここまで聞けばなぜ一番新しくてカッコイイのかわかってもらえたのではないでしょうか。ここではじめの、


「ネットによって全世界の人が見てるものや感覚を同時に共有してる。そしてそれは人類が生まれてから初めての状況」

というのを思い出してください!
ネットによって全世界の人が見てるものや感覚を同時に共有してるというのは、既存の作品を引用する(パクる)ヒップホップととても相性がいいんです。ここでtohjiの「レッドブル」でのインタビューを引用します。



ー世代的にも、自分たちはインターネットですでに共有されてるものがたくさんあって……それは音楽もそうだし、『NARUTO』 とか『ドラゴンボール』でもいいんだけど、そういうものを掛け合わせていく感じになるんじゃないかなって。それは日本に限らず、世界中で起こってるって感じてます。

ほらそういうことでしょう?!
つまりtohjiは全世界が共有できる新しい表現
としてヒップホップそしてヒップホップ的なものを捉えてるんです!だからこそまた思い出してくださいね、「その人類初めての状況を意識して、表現することが大事」なんです!
そしてそれを実践しているのがtohjiだということです。イギリスや韓国でライブをしたりネットを介して海外のアーティストとコラボをしています。
それとリーバイスとコラボしたり雑誌で表紙を飾ったりと22歳という若さでボコボコと結果を残している。その若さと勢いもこの人は何かやってくれるかもしれないと思わせてくれます。この人は世界を変えてくれるかもしれない。
はいいよいよですね、一発tohjiを眺めてから、

f:id:sasasava:20191016095033j:image

tohjiが世界を変え、戦争のない平和な世界にしてくれる

という、おおきな話に接近してきました。

まずは世界を変えるという話です!

tohji自身もこう語っています。


【インタビュー】Tohji|ローカルからではなく、グローバルに突き刺す日本からのヒップホップ - FNMNL (フェノメナル)
ー(ネット以降)フラットに国とか関係なくやり取りができるようになって、「じゃあどうする?」みたいな気分が今かな。そこで天下取れたら今までで一番すごいと思う


]
影響を受けた人物は?という質問に対して
ーたけし。(中略)彼みたいに、その人間の登場によって、オセロの石がガラガラって変わるみたいに革命が起きていくっていうのはカッコいい

【インタビュー】Tohji|ローカルからではなく、グローバルに突き刺す日本からのヒップホップ - FNMNL (フェノメナル)
John LennonBob Marleyのクラスに行きたいから、クラブの隅っこでトラップのマネをしてもしょうがない。(そうなるための方法は)わかんないけど、俺だったらなれると思っている

tohjiはどのような世界にしてくれるのか、どのように世界を変えるのか、まだはっきりとはわかりません。ただそれを理解するかけらを少し長いですが2つ紹介します。


【インタビュー】ラッパーTohjiが見てきた景色と、そこから生み出す新しい世界 | Newave Japan #41
俺は曲でも言っている通り、ノリだけで繋がれる世界を作りたいと思っていて。それこそ俺の中からずるっと出たものだけでシンパシー、共鳴しあって仲良くなれるみたいな。そいつら同士で仲良くなってお互いに曲つくったり、色々行き来があってカルチャーができていくような、そういう新しい世界を作っていきたいです。
例えばInstagramは言葉じゃなくて、並んでる写真だけでFacebookTwitterよりもその人のことがダイレクトに分かるじゃないですか。音楽とかビジュアルには“共鳴し合うこと”の可能性があると思っていて。もしそういう世界を自分が本当に実現できたら、人類史上初めてなんじゃないかなって。普通にそういう新しい世界が見えそうだなってっ考えるとゾクってしますね。

まだ若干ふわっとしている印象ですがなんとなくそういうことです。
そしてどうやってその世界を作るのか?


(tohjiのtwitter)
(略)
俺はみんなの先っちょにいるだけだし、これはみんながカマしたってことでもあるんだよ

この言葉は少し解説が必要かもしれません。
どういう意味なのでしょう。
これは僕が解釈するに、tohjiが世界を変えるんではなくて、tohjiの表現によって意識が変わったみんなの行動によって世界は変わると言ってるんだと思います。そして僕もその一員になりたいです。tohjiさんの下で働きます!ぼくはこの言葉や「sug AA」という曲の中の「ゲイレスバイなんでもこい、みんな同じ、捉われないくくりとかfuck関係ない」という歌詞ををきいてtohjiは優しいなあと惚れてしまいます。ヤンキーもオタクも外人もオカマも誰も差別せずみんなで変えるぞ。そしてくくりなしでみんな一個なんだというその思想が、

 

tohjiが戦争のない平和な世界にしてくれるという話につながっていきます!
これで最後です!

戦争の話です。現在の安倍政権は多くの憲法学者憲法違反だといった、「安保法制」を強制採決、成立させました。僕はあまり詳しくはないですがこれは「権力の暴挙」ともいえる行動らしいです。もし日本が戦争に向かったらメディアはどうなるでしょうか?
国が原発を推進しているときテレビでは原発は安心だというテレビCMが流され、研究費欲しさに大学の教授でさえ原発は安心だと言いました。原発によって得をする権力者たちによって「原発安全神話」が作られたんです。そのとき国民はまんまと騙されてしまったと思います。
もしも戦争でおなじことを国や権力側が行ったら?もしかしたらまた騙されてしまうかもしれません。原発の事故が起こる前原発のことなんて考えることがなかったように、戦争のことを考えずに過ごしていたら、いつのまにか戦争が起こってしまうかもしれません。それが現在です。
そこで僕らを正気に戻してくれるのがネットです。ネットはテレビと違って権力の手がかかりません。だからこそみんなが自由に声を上げることができます。あ戦争まずいぞと気づかせてくれます。
いま若いひとはあまりテレビを見ていません。もしこのままネットの影響力が高まっていったらどうなるでしょう?
そしてそのときtohjiが天下をとっているとしたらどうなるでしょう?
tohjiがみんなを一つにする新しい世界をつくっているとしたらどうなるでしょう?
文化が戦争を食い止めることになるんじゃないでしょうか?
つまりtohjiがそしてtohiiの言うところのみんなが、戦争のない平和な世界にしてくれるんではないでしょうか!少し飛躍してるかもしれませんが結論に達しました。

以上がなぜ僕が
tohjiが大天才で、世界を変えて、戦争のない平和な世界にしてくれると思っているか。という話でした。
ありがとございました。tohji love

f:id:sasasava:20191016061905j:image