カルチャー加藤くんの文化活動

映画、本、喫茶店、文具、音楽、ファッション、アート、お笑いとかのカルチャーのはなし

お笑いファンは私小説家の西村賢太さんを好きになるはず

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ぼくは小説家の西村賢太さんが好きだ。それは西村賢太さんの書く作品だけ好き、ということではなくて西村賢太さんその人も同時に好き、ということだ。この感覚はお笑い芸人を好きになる感覚と似ている。例えば僕は松本人志さんが好きなのだけどそれは松本人志さんの作るネタやトークつまり作品だけが好きなのではなくて、松本人志さんその人も同時に好きだということだ。ここでみなさんはいやそれ、ファンってそういうことじゃね?と思うかもしれない。ただ少し待っていただきたい。映画や小説を好きになるとき必ずしもその作り手も好きになるということではないと思う。俺この小説めっちゃ好き!でもその作家はどんな人かよくしらなーいなんてことはよくあると思う。でもおれガキの使いめっちゃすき!でもダウンタウンってどんな人かよくしらなーいなんてことはないと思う。映画や小説はお笑いに比べて作者と作品の距離が遠いからそうなるのだと思う。ただ、小説家の西村賢太さんはというと非常に作者と作品の距離が近い。つまりお笑い芸人的なのだ。ではなぜ距離が近いのかというと、それは西村賢太さんの書く小説が「私小説」というジャンルだからだ。私小説というのは作者自身が現実に体験したことを元に虚構も交えて語るというジャンルだ。お笑いで例えるとすべらない話みたいな感じ。そして西村賢太さんの私小説はまさに、すべらない話ばりに大爆笑できるのだ。漫画を読んでクスッと笑うとかっていうレベルではなくパンッ!と虚を突かれ、アハハハハハと自覚なしに爆笑してしまいそんな自分に驚くみたいな、それほどソリッドで切り味鮮やかに笑わされる。斬られたのにしばらく気づかずに、時間差で血のりがブシュととんだ侍。みたいなイメージ。アンド、何言ってんだよこの人、、と思わずニヤッとするような燻りもあるし、落語のような声に出して笑うというより、ずっと頬が緩んでしまうような面白味、味わいもある。とにかくすごく笑える。この感覚は、西村賢太「小銭をかぞえる」文庫版の町田康さんの帯文が見事に、バシリと、言い表している。

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激烈におもしろい。そう西村賢太さんの私小説は激烈におもしろい。

◼️西村賢太さんの私小説紹介

ここでは僕が個人的に激烈におもしろい!となった作品をいくつか紹介させていただきたい。どの作品も激烈におもしろいなかで、あくまで僕個人がさらに激烈におもしろい!と思った作品だ。各作品を紹介するとともにどんな作風なのか自然に理解してもらえたらと思うが、その前に軽く西村賢太さんの作風というかどんな感じの話を書いているのかを話させていただきたい。まず西村賢太さんという人はテレビで風俗に通っていることを平然と話したり、暴行による前科二犯だと公言したりとまさに無頼といった感じだ。小説にもそれは現れていて、同棲相手に対する暴行、暴言。貧困な生活の情けなさをそのまま曝け出していたりして、読む人によってはウッと引いてしまうような内容かと思う。ただそれが激烈におもしろいのは、その内容と対照的な古めかしい表現を使った文体というか、西村賢太さん自身、自分は非常にスタイリスト(かっこつけ、というか美学があるみたいなこと)と言っているように、とてもかっこいいカチッとした二枚目な文章で語られるためだと思う。ひどい内容にかっこいい文体。この温かいパンケーキに冷たいアイスクリームが乗ったような、頬落ちんばかりの絶妙なギャップが激烈におもしろい因だとぼくは、思っている。さて、いよいよおすすめの私小説を紹介させていただこう。(紹介するのはいずれも短編のみ)

①腋臭風呂(二度は行けぬ町の地図 収録)

あらすじ

その昔主人公が近所に快適な銭湯をみつける。他の銭湯と違いゴミゴミとしていないところが気に入っていたのだが、ときおり強烈な腋臭を発する男と鉢合わせることになり、、、時が現在になり主人公が久々のホテルヘルス(性風俗)へ。胸躍らせ楽しみにホテルで待機していると、そこに現れたのは強烈な腋臭を発するホテヘル嬢であった。そんなホテヘル嬢と一緒に風呂に入り、若き日の銭湯での思い出を回想するのだった、、、

 

タイトルの時点でおもしろそうだし、あらすじをパッと聞いただけで面白そうでしょ?非常に。と言わせていただきたい。主人公の人生に繰り返される腋臭風呂というモチーフがとても不潔で、かつ西村賢太さんという人をピンと表していると思う。あらすじは、あらすじというかこれでこの話は全部なのだけど、この話をいじらしく仔細に丁寧に語っていて笑わずにはいられないし、ふっと悲しく、勇気づけられる想いにもなる。激烈におもしろい。

②痴者の食卓(単行本版 痴者の食卓 収録/文庫版 夢魔去りぬ 収録)

あらすじ

同棲相手の秋恵と土鍋を買いにホームセンターへ行く主人公。売り場で鍋を眺め、秋恵は本来の土鍋ではなく、高価なホットプレート式の鍋をねだる。価格が引っ掛かり主人公は難色を示すが相談の果て、高価なホットプレート式の鍋を購入。しかし、帰って箱を開けた瞬間新品の鍋から異様なまでの薬品臭が漂い、驚愕するふたり。何遍も鍋を洗うが匂いは消えず、それが種となり、秋恵にブチ切れる主人公。そして壮絶な喧嘩に発展していく、、、

 

客観的に見ると新品の鍋から変な匂いがして、痴話喧嘩になるって馬鹿馬鹿しいなと笑ってしまうがその反面、読んでいると主人公に共感してグッと距離が近くなる。するとああ相手にイライラしてグッと怒りを抑えることあるなあとか、全て飲み込んで優しくしようとするけど、さすがにふざけんなみたいな感じで糸が切れて、全部言っちゃうみたいなことあるなあと思う。すると最後の最後に主人公が秋恵にブチギレ、酷い暴言を吐く場面に一方ではこいつは本当にひっどいやつやなあと笑っている(時には引いてしまう)一方、同時に暴力的にスカッとする快感も覚えてしまう。酷い場面なのに楽しくなってしまうのだ。それとこの秋恵に対する暴言シーンは西村作品によくあるシーンなのだけど、本来目を背けるような行為なのは分かっていても西村作品に親しんだ僕からすると、「ヨッ!待ってました!」みたいな感覚がある。ただ残酷なシーンを見せ物的に見せているだけじゃなくて、そこには主人公と秋恵に対して共感とか親しみとか悲しさとか全てが入っていて、それはさっきも言ったひどい内容にかっこいい文章のバランスだから感じられるのだと思う。ひどい内容だけだったら「うわ女の人に手あげて最悪じゃん」となってしまうかもしれないけど、そこに+かっこいい文章という芸があるから読めるんだと思う。何を書いても偉そうになってないかなあと心配ですが、僕はそう思う。

③焼却炉行き赤ん坊(小銭をかぞえる 収録)

あらすじ

ある日主人公と同棲中の彼女が、犬を飼いたいと言い出す。主人公は犬嫌いのためその主張をことごとく否定する。後日、ふたりでデパートに出かけると彼女は犬のぬいぐるみが欲しいと主人公にねだる。主人公が買ってやるとその日から彼女はまるで我が子のようにぬいぐるみを可愛がる。主人公がそんな彼女を不気味に思っているとひょんなことから実は彼女が妊娠ができない体なのではと気づいてしまい、、、、

 

この作品は僕の読んだ本の中で1番好きな、というかすごいなと思ったというか、震えた作品だ。あらすじを読んでもらっただけで結構ヘビーな内容ぽいとわかるんじゃないだろうか。女性の体のこと、それも子供が産める産めないというすごいセンシティブな内容で、不快に思う方も居ると思う。全ての方にすすられる作品ではないと思う。この作品も例の如くクライマックスに痴話喧嘩シーンがあってこれも例の如くワハハと笑って楽しく読んでいたのだけど、喧嘩がヒートアップするにつれ主人公が彼女に対していう言葉がびっくりするくらい酷くなっていく。こんなこと紙に書いていいのか!?と驚くような表現がドドドっと出てきて、もうこれは人と人の関係として本当に終わりだというラストに終着する。そこで最後の文章、その言葉、一文を読み僕は、ブワッといままでの人生で感じたことのない感情に包まれた。怖くて、悲しくて、興奮して、楽しくて、共感して、清々しくて、かっこよくて、美しくて、全部が入ってる感情になった。つまり感動した。激烈に感動した。

◼️おわりに

ということで、お笑いがすきなみさんにぜひ!

いや興味を持った全ての方にぜひ!西村賢太love 

 

 

 

 

 

 

 

 

人を傷つけない「優しい笑い」?

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◼️人を傷つけない「優しい時代」

M-1グランプリ2019が終わってミルクボーイさんぺこぱさんなどが人を傷つけない「優しい笑い」だと話題になった。ほんとに優しいかどうかは置いておいて、ここ最近お笑いに限らず世間は「優しい」を求めているんじゃないかなあと思う。僕自身もここ最近「優しい」が1つのテーマになっている。そのきっかけはいくつかあって1つはこのブログの第一回で書いたラッパーのtohji。tohjiの人物像について詳しくはその記事を読んでいただきたい。彼は天才・カリスマのイメージを纏っていて観る側にもそう受け入れられていると思う。パッと天才・カリスマと言われると攻撃的で破壊的な人を想像するんじゃないだろうか。ロックで言うならシド・ヴィシャスとかカート・コバーンとかお笑いで言ったらたけしさんとか松本人志さんとか。他人を寄せ付けない怖くて尖ってる感じ。だけどtohjiはまるで逆で演者と観客の境界線を引かない、優しい姿勢を意識的に打ち出しているように見える。(それはインターネットによって国境や時代による境界線がない、誰でも表現ができ、みんな同じ立場にいるからということだと思う)それがとても新鮮で衝撃的だった。

もう一つ、この優しいという感覚は今、共通する感覚なんだなあと思ったことがある。僕は神聖かまってちゃんというロックバンドが好きで、そのフロントマンのの子さんをとても頭が良くてフェアでピュアな人だなあと信用・尊敬を寄せているのだけど、そのの子さんがM-1のぺこぱさんをみて感心したとTwitterで呟き、続けてこう呟いていた。

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今は「優しい」が新しくてかっこいい時代なのかもしれない。

◼️優しいってなんだろう?

僕はそんなことを考えているうちに「優しい」って一体なんだろう?と考えるようになった。そんな中、個人的にストンッ!と腑に落ちる、パンッ!と膝を打つ答えが見つかった。それは爆笑問題カーボーイという爆笑問題さんのラジオでの太田さんの発言だ。南海キャンディーズの山里さんが蒼井優さんと結婚したという話題で、太田さんが今まで山里さんをキモいだなんだと言っていた女性タレントが手のひらを返し、口を揃えて「山ちゃんは優しい」と褒め称えるのに対し「今までそんなこと言ったことねえじゃねえか!」と笑いにしていた時だった。太田さんはあんなやつ性格が悪くてキモち悪ぃだろと毒づきこう続けた。優しいというのは気づくということなんだと。気づくっていうのは周りに気を配ることができるから、優しいってなるけど裏を返せば人の嫌な部分にも気づくということで性格が悪いということでもあるんだと。なるほどなあとストンッと腑に落ち、パンッと膝を打った。どういうことかすこし分かりづらいかなと思うので例えばというか、この話をバイト先の男子大学生に話したときの話をしたい。

僕はバイト中何かの流れで彼にその話をした。すると彼は「それ今鳥肌たちました!」と反応したので「あまじ?なんか思い当たることあるの?」と聞いた。彼は演劇サークルに入っていて、そのサークルの中では〇〇くんって優しいよねえと周りからよく言われるらしい。でも彼としては言葉にはできないけどそう言われることに、なんとなく違和感を感じていたという。というのも彼は地元の友達グループでいると、友達の言われたくない部分をあえて口にし、いじくり、笑いにするキャラでお前ってほんと性格悪いよなぁと言われるというのだ。つまり自分は気づいたから優しく見られたし、気づいたから性格が悪いと言われたのだと。その話まんま自分のことだ!と思ったらしい。優しいという態度は人より気付き、賢くないとできないのかもしれない。

◼️カネコアヤノさんの「愛のままを」

ここまで書いてきてなんとなく今回の記事はまとまりがないなあと自分で思っている。「優しい」について散文的に(使い方合っているでしょうか?)書いてきてここがミソって中心がない気がして、思ったことをただ並列に並べているだけで、考えがまとまっていないまま出しちゃったかなと思っている。でも、まあ、今回は一個のことを突き詰めて掘るんじゃなくてテーマの周りをチョロチョロと色々考えましたって回ということにして、もう一つ「優しい」に関しての話をして終わろうと思う。ここまで「優しい」に魅了され「優しい」ってなんだろう?優しくなりたいなと思ってきた僕だが、逆に「優しくなさ」に惹かれた話だ。

どこへ行こうか 雲がひとつもない
久しぶりの天気
泣かせた誰かのこと思い出したって仕方がない日
できるだけ上を向いて歩いていこうね
子猫のフリして 空を仰いだ 空を仰いだ

カネコアヤノさんの「愛のままを」という歌の一節だ。この太字の部分。を聴いた時うわっいいなと思った。すごく優しくないのだ。今日はすごく天気がよくてワクワクするから、泣かせた誰か。僕はフッた相手なのかなあと思ったのだけど、その人のことなんてどうでもいい日だなあ。というのだ。全く優しくない。けど本当のことだなあと思った。仕方がない日とあるけどまさにその表現がぴったりだなあと思う。それはそういうもんだから、仕方がないよなあと。そう考えたらこの歌詞は「人間の優しくない所」も肯定してくれてるんだから逆にすごい優しいんじゃないかとも思えてくる。ちょっと入り組んできたので、今回はこんな所で失礼をいたします。優しいlove

 

 

シベリア抑留を経験した詩人石原吉郎さんとダウンタウン松本人志さんの共通点を見つけた

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歌人穂村弘さんのエッセイを読んでいて、面白いエピソードがあった。穂村弘さんのエッセイについては前にもこのブログで書いたので、こちら突き抜けるほどに、非常に面白いので読んでいただければと思います↓

初デートで女の子の料理に虫が止まったらどう対応するのがベターか?(by穂村弘) - カルチャー加藤くんの文化活動

◼️詩にとっていちばん大事なものはなにか

さてどんなエピソードか紹介しよう。(どのエッセイ集で言っていたことか忘れてしまったので僕の覚えてる感じで紹介させて頂く。そのため元の話と若干違うかもしれないがご了承いただきたい。ごめんなさい。)まず穂村さんは今も現役で活躍されている歌人・エッセイストの方だ。そんな穂村さんは石原吉郎さんという詩人を尊敬しているという。石原吉郎さんは大正生まれで穂村さんよりずっと上の世代。シベリア抑留という過酷な戦争体験をしていて、それを文学、詩に昇華する作風だったという。そんな石原吉郎さんがあるインタビューで「詩にとっていちばん大事なものはなんですか?」という質問を受けていた。その時穂村さんは自身の過酷な体験をテーマとする石原吉郎さんは、詩の内容のことについての回答をすると思った。しかし、石原吉郎さんはその問いに対し「リズム」と答えたらしい。穂村さんは驚いたと言う。そして過酷な体験を作品に込める、濃い内容を綴る石原吉郎さんが言うからこそ「リズム」という答えが重く、説得力を感じたという。

このエピソードをきいて僕は、「あ俺も同じ驚きを感じたことがあるなあ」とあることを思い出した。

◼️ダウンダウン松本人志

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松本紳助という番組で笑い飯さんが漫才を披露し、合間に松本さん、紳助さんとトークをするという回があった。ぼくはその番組をYouTubeで見ていた。番組の終盤、笑い飯さんがネタを終え裏にはけ松本さん紳助さんが笑い飯さんの漫才を評する場面があった。基本ふたりの雰囲気として笑い飯さんを認めている、面白いと思っている感じだった。そして紳助さんが一通り褒めたあと「なんかわかったなまた、、(なにがすごいのか)わかった?」と松本さんに問う。この時ぼくはうわ「なにがすごいのかわからないと!」と焦り、試されているような気分になった。というのもこの動画を見たのは高校の時だったと思うのだが、当時松本さんを神と信仰する松本信者だった僕は松本さんの思想思考を絶対のものだと狂信し熱を上げまくっており、なおかつ自分が松本さんの一番の理解者だと思い上がりまくっていたため松本さんがどう答えるのか、絶対に外すわけにはいかなかったのだ。僕は松本さんが問いに答える前に一度動画を止め、うーんうーんと唸りながら答えを弾きだそうと冷や汗をかきながら「俺はこんなところで外すわけにはいかないんだ!外したらおれは死ぬしかないんだぞ加藤わかったか!」くらいの血走りまなこで熟考した。そして僕は松本さんがコントや企画、トークで見せる強烈で独特の世界に想いを馳せ、そんな松本さんが言うことは、、、と思い、このボケがすごいとか設定が面白いとか、内容のことについて答えるに違いない!と考えた。それに笑い飯さんの漫才も変わった設定や独特な世界観というイメージがあったから、絶対そうだ!そうなはずだ!と確信した。ただ外すことを極度に恐れていた僕は「内容のことについて言う」という範囲を広くとった答えをひとまず用意し、動画を再開した。しかしそこで松本さんはこう答えたのだ。「テンポが一定じゃないんですよね。」テ、テ、テ、テ、テンポ?!結果大外しだった。そして紳助さんは食い気味で「そうそう、そうやねん!」と反応した。そうなの!?とびっくりした。ふたり通じ合っているのもすごいし、なんと言っても松本さんが内容のことではなく「テンポ」と答えたことに衝撃をうけた。そしてちゃんと外したことに落ち込んだ。でも独特の世界を作る松本さんだからこそ「テンポ」と答えたことがすごいかっこいいー、、、、ともおもったし、説得力を感じたし、すごく知的に感じたのであった。

この驚き、感じたことはまさに穂村さんが石原吉郎さんに感じたことと同じだと思う。詩とお笑いという違いだけで全く同じ話だなあ、面白いなあと感じたので話させて頂いた。あとこれは違う話かもしれないけれど「内容」と「リズム」というのは漫才でも詩でももっと言えば小説でも歌でもラップでも映像でも共通してあるテーマだなあと思ってそれも面白いなあと感じた次第である。さあ、僕の文章。内容は置いといて「リズム」はいかがだっただろうか?良かったら、良いなあ、と思わせて頂いて今回はこの辺で失礼させて頂くことにさせて頂く。リズム&テンポlove

 

 

僕の恋愛バイブル「しゃべくり007・ゲスト爆笑問題 田中裕二さん」の回

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中学の頃からの爆笑問題ファンである僕はまだ見たことのない爆笑問題の昔のテレビ番組やゲスト出演した番組をインターネット上で探す、爆笑問題動画digを日課としている。その中で見つけた、と言ってもリアルタイムで一度見たことはあったのだが「しゃべくり007ゲスト田中裕二さん(2013.7.22)」の回を見直して、予期せぬ感動をし、胸を打たれた。タイトルにもある通り、この回の一部分とネプチューン名倉潤さんが発したある言葉。特にこの言葉が僕の恋愛バイブルとして確と心に刻まれることになったのだ。

◼️田中さんは女性からモテない

まずそこに至るまでの番組の流れを説明しようと思う。番組の中盤、当時前妻と離婚し独り身だった田中さん。そんな田中さんは再婚できるのか?というトークテーマになった。離婚してから一切の色恋沙汰がなく学生時代も振られた経験しかないという。田中さんはまったく女性からモテないという前提で話が進み、周りのしゃべくりメンバーから「女の人と食事に出かけても男として見られずに安全な人・友達としか思われない上に、田中さん自身もそれを分かった上で振られることを恐れ、その立場に甘んじて女性に迫ることをせず逃げているんじゃないか」と容赦ない説教を食らわされる。それに対して田中さんは女の人を口説いたり、男をアピールすること自体自分で恥ずかしくなってしまいできないという。そこでしゃべくりメンバーは恥を忍んでも行く!行くしかないんだと背中を押す。

ここまでの流れを見て、僕はまるで自分のことのように思えてきたのである。まず女性に対しコンプレックスを持つ田中さんの気持ちがよくわかる。僕も、どうせダメだと二の足を踏み女性を避ける・女性に対して必死になる自分がダサく感じ妙にそっけない態度を取ってしまうなど、冷静に考えれば逆に一番ダサい行動をとってしまう。そして自分のことのように思えた理由としてもう一つ、昔から田中さんと馴染みのしゃべくりメンバーが茶化しながらも真剣に田中さんに寄り添いアドバイスする雰囲気に妙に親近感を覚えたのだ。とその後に続く展開でいよいよ僕が感動し胸を打たれた名倉潤さんの言葉が発せられる。

◼️女を口説くコント

ここまでちゃんと男としてやることをやっている、いわばモテ男の立場でトークに参加していた2人が田中さんにある提案をする。まずネプチューン名倉潤さんが女性と食事に行ったら「今日、口説いてもいい?」これぐらいは言えるやろ。と提案。続いてチュートリアルの徳井さんがこれはどうですかみたいな笑み顔で「俺とさあこうやって飯とかいってさあ、口説かないとか思ってるでしょ?口説くんだなあ、これが!」という具体的なセリフを提案。女性役:徳井さん、レストランで食事をしているという設定で田中さんがこのセリフを言い、女性を口説く練習を始める。もちろんバラエティ上で行われている練習。ミニコントなので笑いを交えつつ進んでいくのだけど、しゃべくりメンバーも会場のお客さんも田中さんを応援するような雰囲気でコントが進んでいく。僕も胸をヒリヒリさせながら眺めていた。軽く会話を交わす女性(徳井さん)と田中さん。そこで田中さんが緊張した面持ちで切り出す。

「俺とさあ、こうやって飯食ってるじゃん?」「はい?」何を言ってるかわからないというキョトン顔で食い気味に聞き返す女性(徳井さん)。怯む田中さん。怯むぼく。「大丈夫、折れない折れない!」「まだイケるイケる!」と声援を送るしゃべくりメンバー。気を取り直して言い直す田中さん。気を取り直すぼく。「俺とこうやって飯とか食っててさ、口説かないって思ったでしょ?」「まあ田中さんはね、そういう人じゃないもんね」「口説くんだなあそれが!」「またあ、田中さんったらもう」「いやまじで口説くよ!いやまじでまじで」「でも好きなのは猫ちゃんとかスイーツとか、女の人に興味ないんでしょ?」「それも好きだけど、今一番好きなもの、、また新しく好きなものってできてさ」とためる田中さん。「いいよ!いいよ!」としゃべくりメンバー。「なんなんですか?」「まあ猫もす、、」「ちょっとごめんなさい、電話かかってきて」電話を取る女性(徳井さん)。怯む田中さん。怯むぼく。「大丈夫!折れない折れない!」「頑張って!田中さん!」「裕二さん頑張って!」と声援を送るしゃべくりメンバー。「頑張れ俺(田中さん)!」と心中で叫ぶぼく。電話をする女性(徳井さん)。息を飲んで待つ田中さん。息を飲んで待つぼく。電話を切る女性(徳井さん)。そして一言「ごめんなさい、彼から電話かかって来て」

僕は絶句してしまった。ミニコントだということをとうに忘れて、絶望してしまった。もう終わりやん、、もう終わりやん、、もう終わりやん、、と水面に波紋が広がって行くように頭の中で言葉がこだまする。やっぱりどうせ無理なんやん。期待したって傷つくだけやん。こうやって損をみることになるんやん、、、とみるみるうちにネガの沼に引きずり込まれて行く。と、その時。僕と同じく絶句した表情で言葉を失っていた田中さんに対して、静かに見守っていたネプチューン名倉潤さんが強い口調でこういったのだ。

「関係ないやろ、、!」

◼️関係ないやろ、、!

僕はハッとした。関係ないのか。と思った。関係ないんだ。一度行くと決めたんだから、彼がいても、関係ないんだ。そう関係ないじゃないかと思った。僕はひとりで勝手に絶句し、絶望し、諦め、ネガの沼に足を取られて、もがくこともせず、いじけた白け顔で世界に対して呪詛を唱えて塞ぎ込み、まだある可能性を自ら潰していたのだ。それじゃあ結局、今までダメだった自分となんら変わっていない。一度行くと腹を決めたのなら掴みとりたいのなら、人を傷つけてでも自分が傷ついてでも行くしか選択肢はないじゃないかと、名倉さんが断言したとおりまさに「関係ないやろ、、、!」なのだとぼくはこのとき気づかされたのだ。そしてその「関係ないやろ、、、!」という言葉、その精神にドンと胸を打たれたのだ。この世の中、この世界、自分が一度決めたのならどんな理由をつけたって、諦める理由にはならないんだつまり「関係ないやろ、、、!」と言わないでどうするんだと、僕は感動したのである。みなさんぼくのこの感動わかっていただけただろうか?ぜひわかって頂きたいのだが、もしわからなくても僕としては「関係ないやろ、、、!」と言わせて頂くことにして締めさせて頂くことにして、頂かせて頂きたいと思う。それと徳井さんと田中さんのコントに関しては、この後もちょこっと続くのだけど本文のテーマからズレるので紹介はしなかった。その後が気になる方がいたらインターネットの海をdigして動画を探して頂けたら思う。お読み頂き、あり(ありがとう)。しゃべくり007love

 

 

初デートで女の子の料理に虫が止まったらどう対応するのがベターか?(by穂村弘)

f:id:sasasava:20200224201534j:image(穂村弘さんのオススメのエッセイ)

◼️はじめに

ぼくは歌人穂村弘さんのエッセイが好きで、エッセイ集の半分くらいは読んでいる。なぜ好きなのかというと内容がすごく内向的で細かくて怖がりで、同じ性質を持つ僕としてはすごく共感できるからだ。どんなテーマを扱っているかというと、電車のホームで並んでいる時先頭だと、誰かに押されるんじゃないかと思って少し踏ん張ってしまうとか、子供が苦手で子供と遊んでいる時の自分の態度は合っているか気になるとか。ただそういう日常で感じるささいなことだけってわけじゃなくて、その先の、日常をぺりっと剥がしたときの急な怖さとかまだ言葉にして理解していないような感覚をわからせてくれる。それがとても面白い。そんな穂村弘さんのエッセイの中で特に印象に残っているエピソードがある。ただそのエピソードがどのエッセイ集にはいっているか忘れてしまって、図書館に行って探したのだけれど見つけることができず、、すみません、、。なのでぼくの記憶と混ざって若干ホントの話と違う部分があるかもしれないが、そこはご了承いただきたい。そのエピソードとはこうだ。

◼️初デートで女の子の料理に虫が止まったらどうするか?

まず女の子と初デートでごはんを食べに行く。2人で会うのははじめてで付き合ってはいないという関係性だ。その女の子と同じ料理を頼んで食べている途中、その女の子の料理例えばハンバーグだとしようそのハンバーグにハエが止まって、トトトトトっとハンバーグ上を歩きプーンと飛んでいった。その時どう対応していいのか頭が真っ白になってしまうというのだ。そしてその状況がとても恐ろしいというのだ。もしどちらも料理に口をつけていなければ「あハエ止まったね。おれのと交換するよ、こっち食べな」とスマートにその危機を回避できる。しかし2人とも食べかけ。それにハエが止まったからといってその店が悪いとも言い切れない。交換してもらうのも躊躇われる。この絶対絶命のピンチにどう対応するのがベターか?という話だ。

わかる。とてもわかる。その状況になったことはないのにヒリヒリするほど理解できるし恐ろしい。ぼくはこの話を初めて読んだ時、口をパクパクさせ空気だけヒューヒューと漏らし引き攣った顔で必死に笑顔を作って狼狽しまくる自分が頭に浮かんだ。実際にそれをやったらだいぶまずい。このエッセイはどうするのがベターか?というところで終わっていて明確な「答え」は書かれていない。ここはひとつ「自分なりの答え」を出しておきたい。そう思ったぼくは、友人にこの状況をどうするか?方々聞いてまわり、ああこれだなという「自分なりの答え」をはじき出したのである。次の項はその友人のキャラも含めてそれぞれの答えを紹介し、その中で見つけた僕自身の答えも2つ紹介する。

◼️CASE1「バイト先のチャラモテ大学生の答え」

まず1人目はバイト先で仲のいいチャラモテ大学生Kくんの答えである。まずKくんはハエが止まって流れる重い空気を払拭するため「うわ!ハエ止まったやん!ハエもお腹すいてたんじゃね!?」とテンション上げ目で冗談を飛ばしその場の空気を軽くするという。そして「てかそれ食べれないっしょ?おれ全部食っちゃうわ!」と一気に料理を食べて「お腹空いてるっしょ?食べ歩きいかね?」と女の子を気遣い次の提案をすることでこの場を切り抜けるという。

感歎である。さすがはモテ男といったところだ。まずその場を軽くするための冗談「ハエもお腹すいてたんじゃね?」がキャラに合っているしパッと考えたとは思えないナイス角度である。そして続いての「おれ全部食っちゃうわ!」というのもKくんのキャラだからできる解決の仕方だし、女の子の気持ちになると気まずくて恥ずかしい気持ちをパッと明るくして思わず笑ってしまうような心強さがある。そしてなんといっても最後の「お腹空いてるっしょ?食べ歩きいかね?」は次の予定を提示し関心をその場から外し、同時に彼女のお腹のスペースも埋めるという見事な締めくくりである。眼鏡をかけ喫茶店男子的なスマートさ・温厚さを売りにしている僕のキャラではできない部分も多いが「その場を軽くする冗談をいう」「次の提案をする」というのは取り入れられる。いかようにも素晴らしいと言わざるを得ないだろう。

◼️CASE2「チビでちんちくりんな見た目だけど、優しさ・スマートな気遣いで彼女を絶やしたことのないモテ同期芸人の答え」

項タイトルにある通りそのような男Gちゃんの答えだ。まずGちゃんは「あハエ止まったね」とその事実をさらっと流し「よかったらおれの半分食べな」とすすめるという。そして2人食べ終えると「その分ちょっとお腹空いてるからさ、デザート食べ行こうよ」と次の提案をし、「今回ハエ止まっちゃたからさ、また2人で美味しいもん食べ行こうよ」と次のデートの約束を自然に取り付けるという。

こちらも感嘆である。全ての流れがスマートで彼女を絶やさないのも頷ける。一つ一つ見ていこう。まずKくんとは対照的にハエが止まったという事実は「あハエ止まったね」とさらっと流すという。慌てずに余裕を持って空気を支配する王者の貫禄すら感じる対応の仕方である。そして「よかったらおれの半分食べな」これもKくんの全部食べちゃうという対応とは対照的で分け与えるという処理の仕方。とてもスマートで優しさをかんじる。そして「その分ちょっとお腹すいてるからさ、デザート食べに行こうよ」これはKくんの「食べ歩きいかね?」と、デザートと食べ歩きというキャラの違いこそあれ同じ対応だ。やはりモテ男には共通点がある。次を見せることで、その場を過去にするというのは必須のテクニックらしい。そしてここがGちゃんの白眉と言っていいと思うのが「今回ハエ止まっちゃたからさ、また2人で美味しいもん食べ行こうよ」と次のデートを自然に取り付けるという部分。それを聞いた時、あまりの発想力・アクロバットにぼくは驚きを隠せず「すげえな」と吐息交じりの声を上げていた。それに対しGちゃんは僕の顔をフッとみつめ「ピンチはチャンスだからさ」とさらっと言ってのけた・・・。Gちゃんの答えは眼鏡をかけ喫茶店男子的なスマートさ・温厚さを売りにしている僕からしても取り入れやすい対応だった。

◼️CASE3「カルチャー加藤くんの答え」

両人のモテ男の答えを加味した上で僕の答えはこうだ。まず「うわっ、ハエ止まったねこんなことあんだ 笑」と朗らかに言ってその場を軽くし、「よかったら、おれの半分食べな」といって分け与え、「てかお腹ちょっと空いてるからデザート食べ行こうよ、ケーキ美味しい喫茶店あるんだ」と次を提案する。そして「ハエ止まっちゃったからさ、また今度美味しいもの食べ行こうよ」と次のデートを自然に取り付ける。これだ。ほぼGちゃんである。そこは恥ずかしいと言わざるを得ない。ただこれが僕なりの答えである。

とここで皆様は答えも出たし終わりかなと思っているのではないだろうか?実はもう少しこの話は続く。↑の答えはあくまで1つ目の答えだ。皆様お忘れかもしれないがこの話には僕なりの2つの答えがあると書いた。これとは全く違う答えがもう1つあるのだ。「じゃあはよ言えや、もったいぶんなやカス」と言わないで頂きたい。とりあえずもう1人の友人の答えから紹介しようと思う。

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◼️CASE4「温厚で優しいがモテない同期芸人の答え」

モテないと言い切るのも身も蓋も無いと思うのだけど、このIくんの答えを聞いてもらえばどんな人かわかっていただけると思う。ズバリIくんの答えは「見て見ぬふりをする」だ。続いて「女の子の方から、なんか言って欲しいな」という。

ひどい。これはひどい。びっくりするほどひどいと僕は思った。料理に虫が止まって一番恥ずかしくて気まずいのは女の子の方だ。カップルではないにしろ2人だけの空間を共に作り上げている最中だというのに、Iくんはそれを放棄するだけでは飽き足らず、責任はお前にあるんだぞとでも言うかのように「女の子の方から、なんか言って欲しい」と言ってのけたのである。Gちゃんのアクロバットとは真逆の意味でアクロバットを見せつけられた僕は「いやそれはひどいよ、、、Iくん、、、投げ出すってこと?」と呆れ果てた態度で侮蔑の目線をくれてやった。もうこれ以上こいつの意見を聞いていても時間の無駄。ひどい男もいたもんだと完全に諦め、話を切り上げようとした時Iくんがこう言ったのである。

◼️CASE5「カルチャー加藤くんの2つ目の答え」

「てかもうその2人終わってんじゃない?(初デートでハエが止まる時点で)」

ぼくはハッとしたのである。このIくんの意見が妙に説得力をもって腑に落ちたのだ。ぼく、そしてチャラモテ大学生Kくん、Gちゃんはどうやってその場を切り抜けるかを考え続けてきた。ただ一歩下がって外側から見てみると、初デートでしかも食べている途中、しかも自分ではなく女の子の方にハエが止まりトトトと歩いて、飛んでいく。そんな不運が降りかかる2人はもうその時点で終わっているのでないか。わかるのだ。さらに考えていくと初デートで自身の料理にハエが止まる女の子はある意味、その女の子は悪くないのは百も承知で、取るに足らないしょーもないやつ感があるのだ。店側も、自分も、女の子も悪くない。その悪者がいない状況が逆に、解決し得ない絶対的な終わりを感じさせる。そしてえも言われぬ怖さも感じる。この意見に関しては人によって「いや全然わからないわ」という方もいると思うが、僕の2つ目の答えは「ハエが止まった時点で、2人は終わっている」である。

◼️おわりに

ということで「初デートで女の子の料理にハエが止まったらどうするか?」でしたがこの問題はそれぞれのキャラが出て面白いのでこれからも聞いて周ろうと思います。みなさんだったらどうするでしょうか?なにかしらで意見寄せていただければ幸いでございます。思ったより長くなっていまいましたが、最後までお読み頂いた方、ありがとうございます。穂村弘さんLove

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↑(穂村弘さんのオススメのエッセイその2)

 

牛久大仏は変

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今から一年程前、茨城県に高々とそびえ立つ、牛久大仏に参じる機会があった。今回はその時に感じた「牛久大仏に対する違和感」についてお話ししたい。はっきりいうとかなりどうでもいい話だと思うし、周りのひと数人にもこの話をしたのだけれど、笑ってくれる人だったり、全く伝わらなかったり、どうでもいいじゃん!的な反応だったり、その話インタレスティングだねてな反応だったりバラバラなので、みなさんがどう感じるのか気になるところだ。

◼️牛久大仏ってなんやねん

牛久大仏とは茨城県にある大仏だ。その大きさはなんと120メートルもあって、世界一大きな仏像としてギネスにも認定されている。その大きさゆえ、この大仏はビルを建てるのに用いるカーテンウォール工法を採用しているらしく、大仏なのに5階建てだ。しかも中にエレベーターを仕込んで各階に展示や、ちっこい仏像がズラと並ぶ空間があるという、異端中の異端大仏である。

そして特筆すべきはこの大仏、1989年に建設されたという点だ。「新しっ!」僕はこのことを知った時とっさにそう思った。いわゆる大仏とかお寺だとかってものは、漏れなく古い歴史を持つものだとなんとなく思っていた僕には軽い衝撃だった。爆笑問題と同じデビュー年だ。とも爆笑問題ファンの僕は思った。余談。

◼️牛久大仏の体内

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僕はそんな牛久大仏の内部に足を踏み入れた。まず一階で度肝を抜かれたのだけれど、ちっこい仏像が色とりどりにライトアップされてズラと並び、プロジェクションマッピングみたいな感じで写経?のような文字群が右に左に、床や壁を舐めるように照らしまくっているのである。「はて、なんこれ」みたいな感じで僕は最初小首を傾げたのだが、さすが。生まれが89年なだけあってアトラクション感がすごいのである。ただ今回話す違和感はまだここでは生まれていない。問題は2階の展示室である。

◼️違和感

2階は、ここが多分観光用にというか見せる用としてメインルームだと思うのだけれど、牛久大仏がどうやって建てられたのか、建設途中はどうであったのかなどを写真や模型を使って解説入りで展示している空間である。僕はこの「牛久大仏の体内で牛久大仏がどうできたのかを解説する」ということ自体に違和感を覚えたのである。どういうことか!まだわからないと思うのだけれどその時の僕の気持ちだけを言うと「いやなんやこれ、全部お前のことやん、お前の体内でお前のこと聞かされて、これなんやねん」と言うことだ。ここでもしかしたらみなさんは、

「いや別にそれは変じゃないでしょ。だってそれはお城とかだってそうじゃん。中にこういうお城ですとか展示してあったりするやん。何言っとんこのうすらボケ」と思っているかもしれない。ただちょっとまって頂きたい!僕の違和感はそんなことでは止まらないのである。というかとりあえず説明させていただきたい。

◼️違和感の解説

まず大仏だったりお城だったり歴史的な建物の中にその建物自体の展示があると言うのは普通にあることだと思う。僕もそこは分かっているし、それは全然自然なことだと思う。じゃあ何に違和感を感じているのかというと順番が違うじゃん。と言うことだ。

まずお城や他の大仏は歴史がある。それを現代の人があとから、これは尊いからみんなに見てもらいたい→じゃあその中に展示や解説を仕込んで充分に堪能してもらったらどうだろう。と言う順番なのだ。ただ、この牛久大仏の奴はというとどうだろう?1989年。ギャンギャンに今の日本が仕上がってから大仏を構想、おそらく展示室を仕込むことを折り込み済みで建て上げたのである。僕が言っている違和感はその、「自分で建てて、自分で説明してる」という感のことなのである。分かってもらえるだろうか?この違和感、共感していただけるだろうか?

もう少し続けさせてもらうと例えば、ある記念館を建てたとする。その記念館は何の記念館かというとその記念館ができたという記念館で、その記念館がどうやってできたのかを写真模型を解説入りで展示してある。この柱はどういう木材を使っているのか、この建物はどういう工法で建てられたのかを展示しているのだ。おかしい。それはおかしい。それは変。それを牛久大仏はやっているのだ。牛久大仏は大仏であるということや、他を圧倒する程でかいというベールを纏っているため気付きにくいが、こういうことをやっているのだ!

と、話はこれで終わりなのだけれど、僕は別に変だからといって「滅べや」と言っているわけではない。同じ年、鎌倉の大仏にも参じたのだが正直あまり楽しめなかった。言ってしまえばただのお寺で、そこにある大仏っていうだけなので、神仏の類に対して無知な僕のレベルでは楽しめなかったのだ。ただ牛久大仏はアトラクション感満載で大仏とは思えないほど、楽しかった。変だけどいいよ牛久大仏牛久大仏love

 

 

マッチングアプリTinderをやって、僕は一生ギャルと付き合うことができないと悟ってしまった

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◼️はじめに

ギャルと付き合えないというのは、一抹の寂しさを感じるものである。

ぼくは女性の属性として特にギャルが好き。というわけではない。ただ男からするとギャルという一大ジャンルは意識せざるを得ないというか、ロマンを感ずる何かがあるもので、その一大ジャンルから相手にされないというのは、例えばある主婦が自身の料理を夫、姑は認めてくれているけど、義父には全然ハマっていない。その主婦が腕をふるった飴色玉ねぎキーマカレーを義父は無表情で食べたのち、そそくさとたばこに火をつけて深く味わい、やっと笑顔を取り戻す。みたいな感じのひっかかりがあるのだ。ギャルに相手にされない一抹の寂しさを、おわかりいただけただろうか?
さてそんなぼくがティンダーをやって、なんでギャルと付き合うことができないと悟ったかという話である。

 

◼️ティンダーとは?

まずティンダーに造詣が浅めの人にティンダーのご説明をしようと思う。
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(実際のぼくのプロフィール)
まずこんな感じで無限に男or女の、画像と自己紹介文が表示される。で、こいつええやんと思えばlike、こいつはあかんかなと思ったらnopeに振り分けていく。
それは相手もまた然りで自分のことをええやんこの男の子と思ってくれればlike、自分もlikeしていればマッチング成立。そこからはトークルームでラインのようにメッセージができ、連絡先を交換してもよし、会う約束をしてもよしと言った具合である。ちなみに誰が自分をlikeしてくれているかは見れないので、お互いフェアに相手を評価できる仕組みになっている。
ティンダーには様々なタイプの女性がいて、ギャル女、清楚女、韓国タピオカ好きの大学生女、一眼レフを首にかけたサブカル女、バンギャ風の女、感度高そうなアート寄り女、独特な雰囲気の服ガチ女、スポーツやってたっぽい元気系女、怖い絵の画像を載せてるメンヘラ風女、、、、、etc
とそこでぼくは、それらの様々な女性たちに割と分け隔てなくlikeを散布しているのだが、全くと言っていいほどギャル女性とマッチしないのだ。ティンダーを始めて時が経ち何十人とマッチを積み上げているのに、ギャルが1人もいない。そこでぼくはあることに気づいたのである。

◼️ティンダーとは鏡

ふとぼくはマッチした女性一覧を眺めていると、その女性たち全体の雰囲気というか、傾向が見えてきたのである。まず、感度高そうなアート寄り女、独特な雰囲気の服ガチ女が多いということである。そしてそれに属さなくても音楽ガチであったり、喫茶店好きであったり、映画好きであったりと文化系のラインナップである。そして髪色髪型に関しては茶髪、カールをかけたかわいらしい髪型の女性は1人たりともおらず、黒髪ショート&ロングの大人しめの感じか、金髪、極度に派手な染髪、ベリーショートなぞの攻め寄りの感じなのである。
とここでその全体を眺め、その空気を受け取ったとき僕はどう感じたか、それは、「これは鏡だ。」ということである。つまり、マッチした女性全体を眺めたときに、それは間違いなく僕のティンダーであり、僕っぽかったのである。みんな=僕なのだ。
不思議なものでマッチした特に気になる女性とトークしていると、プロフィールに書いていないのに好きなミュージシャンが同じだったり、考え方が近かったりする。まさにこれは鏡なのである。
そしてさらにその考えを固めるに至ったエピソードを2つお話ししようと思う。

◼️ケース1(チャラい男)

元芸人で養成所が同じだった後輩?がいる。
どういう男かというと、まずチャラい。女遊びは当然するしノリが軽い。ファッションに関しても平時にサングラスをかけるような男である。
その後輩とふとした拍子にティンダーの話になったとき、気になる発言があった。
「いやティンダーって実際ヤリたいだけの女の子ばっかじゃないですか?まあぼくもヤるんですけど、、なんかもっと好きなものとかちゃんとあるおとなしい子とトークして、会ったりしたいですよ」
ぼくと真逆なのである。
そして彼のいうその女の子たちはまさに彼なのである。これまた鏡だ。ぼくはヤリたいだけの女の子とはマッチしないし、どちらかというと趣味や好きなものの話をして盛り上がることが多い。
そして余談だが、ギャルに相手にされない一抹の寂しさを感じているぼくに対し、彼は、おとなしい女に相手にされない一抹の寂しさを感じていたのだ。人間とはなんとも、無い物ねだりで、隣の芝が青く見えるとでもいうのか、業が深い生き物だと感じた次第だ。

◼️ケース2(温厚な男)

芸人の同期の男がいる。
彼はどういう男かというと温厚で優しい雰囲気を持っていて、常に穏やか。ファッションはあまり興味はないが、お笑いはもちろん映画や音楽もそれなりに好きと言った感じである。
その彼とティンダーの話をしていた。彼はマッチした女の子とデートに行ったらしいのだが、そのデート内容は「散歩」だったらしい。というのもその女の子の趣味が「散歩」でそれに合わせる形で街や公園を流したらしい。その話を聞いていてこれもまたその女の子=彼やん。と思ったのである。またミラーだ。

◼️ギャルと付き合えない理由

とここまで話して、
「ティンダーとは鏡」はおわかりいただけたのではないだろうか?そしてここからわかるのは人は自分と同じ人を求めているんじゃない?ということだ。理想のタイプはお父さんとかお母さんに似ている人とよく聞くのはそういうことなのだと思う。恋とは自己愛であり、近親愛なのかもしれない。
そして同時になぜぼくがギャルに相手にされないか、付き合うことができないかもわかっていただけるのではないだろうか?それは「僕に全然ギャル要素がないから」ということである。もしぼくがギャルに近づきたいなら、眼鏡を打ち捨てて、蛍光色スニーカーを履いたりしないといけないのかもしれないけれど、それはごめんなので諦めるしかない。
でも人生で今まで一度もギャルと会話したことがないので、知り合いにギャルがいる方はぜひ、トークする場を設けていただきたいものである。

◼️おわりに

あとこれは今までと言ってることが違うじゃないかと思う方もいるかもしれないが、一度だけギャルとマッチし、歓喜しながらメッセージをしたことがある。ただ彼女と会話を進めていくと、危なそうなビジネスの話をしてきたので、そっとトークルームを退室し、削除のボタンをタップしたのであった。ガーン。tinder love